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『紅の豚』のポルコ・ロッソが豚になった理由を本気で考える

宮崎駿監督のジブリ映画作品はどれも大好きで何度も観てるんですけど、大人になってから大好きになった作品があります。

 

それが『紅の豚』。

紅の豚 [DVD]
紅の豚

 

子供の頃に観たことはあったものの、正直意味がよくわかっていませんでした。

何かサングラスかけたブタが空を飛ぶアニメ?くらいにしか認識していなかったと思う。(これだけ聞くと、飛んでブーリンやん)

 

で、最近また久しぶりに見たくなってDVDかけたんですよ。

 

映画を観ながら改めて思ったんですけど、

ポルコってマジカッコ良過ぎじゃね??

 

なんであんなにダンディーなん?顔豚なのに。なんなら豚でもないよくわからん生物になってるけど。

 

『紅の豚』ってストーリーだけでなく、様々な謎があるところもまた興味をそそられるポイント。中でも、『紅の豚』の主人公であるポルコ・ロッソが、なぜ”人間”から”豚”の姿になったのか。これは様々な憶測が飛び交う謎です。

 

そこで、ポルコが豚になった理由について、僕の勝手な感想を書いていこうと思います。

ポルコ・ロッソが豚になった理由を考える

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(参照:『紅の豚』より)

元空軍の英雄であるマルコ・パゴット大尉は、なぜ”豚”になったのか。

紅の豚ファンなら考えないではいられない疑問ですよね。この疑問を考えるのは非常にロマンというか、物語に対する魅力があります。

 

原作から考える”豚”の理由

おそらくのところ、現実的な理由としては、「特に理由・設定は決めていなかった」のではないかということが考えられます。

 

そもそも『紅の豚』は宮崎駿氏の雑想ノートに書かれた「飛行艇時代」が原作となっています。

原作にはフィオをはじめ、マンマユートやカーチスなどジーナ以外の重要キャラが登場しています。そして、もちろんそこにはポルコは”豚”として登場しています。

 

原作はコミカルな作品であり、特に”豚”である理由も記載なくつくられていた作品でした。しかし、これを映画化するにあたり、話が戦争や世界恐慌を背景とした深い話になったんですが、特に”豚”のキャラは変わらなかったので、そこに謎が生まれた…

 

というのが真相なのではないかなぁと思ったりします。

 

でも、これってファンとしてもあんまりおもしろくないし、原作者が考えていなかったとしても、すでに作品として存在している以上、鑑賞者である我々が勝手に理由を妄想して楽しむのは問題ないと思うので、やっぱり理由について考えてみたいと思います。

 

マルコが”豚”になった本当の理由

でも理由を考えるにあたっては、そもそも彼は豚になってしまったのか、あえてなったのか、その考え方からして見方は変わってきますよね。

 

ちなみに、ネットではポルコ・ロッソが自分で魔法をかけて豚になったという意見が多く存在しています。

「人間に幻滅し、自ら人間を捨てて、魔法をかけて豚になった」という説です。

 

AmazonのDVDのあらすじでも下記のようにあります。

イタリア空軍のエース・パイロットだった彼は、自らに魔法をかけて豚の姿になってしまったのだ。

amazon.co.jp

 

でも、僕の意見(妄想)としては少し違います。

もちろんほぼオフィシャルで「自分で魔法をかけた」という主張があるため、僕が異論をいうのは変な話ですけど、妄想する分には自由だろうから語りますねw

 

「失意の感情」が彼を豚に変えた

だって、自分で魔法をかけたと言っても、ポルコ(マルコ)は魔法使いではなく、普通の飛行艇乗りなので、魔法を使うというのは考えにくいし、豚以外の設定は全て現実的なストーリーからしてもどうかと思うわけです。

 

ただ、ポルコが自分が豚になったことを受け入れていることは間違いない。

 

フィオに語る過去回想シーンで、第一次世界大戦でのある空中戦の話が語られています。

激戦の末に、気づくと彼は一人雲の平原を飛んでいたという場面。すると、戦死した仲間たちが飛行艇とともに空へ上っていき、あの世へ続く飛行機雲のような飛行艇の列に加わっていきます。

 

その中には友人であり、自分が立会人を務めたジーナの婚約者ベルリーニも含まれていました。

 

仲間たちが天へ召されていく中、一人生き残ってしまい、気づけば海面すれすれを飛んでいたマルコ。

 

「もう戦争は嫌だ。殺し合いは嫌だ。そんな人間でいたくない」という戦争とその戦争を起こした人間というものへの絶望と諦め。

 

そして、仲間や友人が死んでいき、自分だけが生き残ってしまった”孤独感”。

 

その感情が、彼を人間から豚へと変えたのではないかと思います。

 

そういう意味ではもちろん”魔法”なのですが、ハリポタ的に自ら呪文を唱えて変身したのではなく、中国の古書『山月記』に登場する李徴が自己の強い感情によって”虎”になってしまったように、マルコ・パゴット大尉の強い失望の感情が、己の姿を”豚”へと変えさせたのではないか、と考えています。

李陵・山月記 (新潮文庫)

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だから、ポルコは自分が豚になったことを素直に受け入れ、人間に戻りたいというような素振りを一切見せませんし、むしろかつて人間だった頃の自分を消し去りたい様子が伺えます。

 

実際ジーナとの会話の中で、「この店で一つだけ気にくわねぇのは、あの写真をはずさねぇことだ」と言っています。

また、フィオに対しては「フィオを見てるとな、人間も捨てたもんじゃねぇって、そう思えてくるぜ」と語っており、”人間”というものに対する軽蔑・失望が伺えます。

 

ポルコ・ロッソが人間に戻る方法

そのように考えると、ポルコ・ロッソが豚の姿から再び人間に戻るのは、人間への希望を取り戻し、人間として生きる力、そして人間として誰か(ジーナ)を守り愛する心が戻ることが大切なように思えます。

 

ラストシーンでフィオが別れ際にポルコにキスをした後、画面には写っていませんが、彼が人間に戻っていることが示唆されているシーンがあります。

それはフィオという人間への信頼の心と、ジーナに対する愛が再び彼を人間へと変えたのかもしれません。(ちなみに宮崎駿監督曰く、ポルコは完全に人間に戻ったのではなく、また豚になったと述べられています)

 

あとがき:こんな見解もありました

他のブログなどを読んでいたら、「ジーナを愛するわけにはいかない気持ちから豚になった」という説がありました。この説も一理ありますね。

hocori-house.com

 

彼が豚になった理由は公開されてませんし、何が正解かは誰にもわかりませんが、こういうことをみんなで妄想し合いながら、自分の見解を話し合うのが楽しいですね。

 

映画見た後だけど、再び見たくなってきた。 何度見ても楽しい、男のロマンが詰まったカッコイイ映画だな。

 

カッコイイとは、こういうことか。

 

 

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