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Magic Pie

さて、羊に戻るとするか

僕がモノに名前をつける理由

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先日会社の同僚の自宅に招待してもらい、仲間数人でお昼からホームパーティーへ行ってきた。

 

同僚は子供が冬に生まれたばかりで、奥さんとの新居はとても初々しく、リビングの真ん中には赤ちゃんようのゆりかごベッドが、どーんと鎮座していた。子供が家庭の中心にあることがこの部屋のインテリアからもわかる。

 

そして奥さんとご対面して、挨拶とちょっとしたお土産を渡した後、早速奥さん腕によりをかけた手料理をご馳走になった。

出てくる料理がどれも手が込んだもので、普段飲み会では嫁の愚痴しか言わない同僚も、にこにこしながら、どこか誇らしげであることが、とても微笑ましい。

 

そして、ビールで乾杯して、みんなでワーワー喋りながら、美味しいお食事をいただいていたところ、部屋の片隅に、かの有名なメタリックに光る丸い物体を発見した。

 

その物体は見るからに愛らしく、みんながペットのように可愛がるのも無理はないなと思えるほど、ちょこんと充電器にセットされて、自分の出番を今か今かと待っている。

 

なんとまぁ、可愛らしい。

 

それがこいつ。

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そう、iRobot製のRumba(ルンバ)である。

 

僕の視線が釘付けになっているのを同僚が気づき、
「あぁ、これ、結婚祝いにもらったんだよ」
と言った。

 

結婚祝いとは、Rumbaまでももらえるのか。
聞くところによると、Rumbaだけでなく、部屋の中心に備えられている赤ちゃん用の自動制御付きのゆりかごベッドも、奥さんの職場の人たちからのプレゼントらしい。
さすがは人生一大イベントである。みんなのプレゼントの大胆さに尊敬の念を感じずにはいられない。

 

 

そこから食卓はRumbaの話題となった。

 

便利さや使い勝手、性能などなど、同僚はアイロボットの回し者かのように、Rumbaを持つ良さについて語ってくれた。もはやホームパーティーに招待されたというより、ジャパネットたかたの会場にいるかのようだった。

 

Rumbaは充電切れるのを察知すると、自分で充電器のところまで帰るらしいが、確かにそれも可愛い。

時々、テーブルの椅子と机の間に挟まって動けなくなってたりすることもあるらしいが、それはそれで可愛いのだとも語っていた。やはりRumbaは可愛いんだ。持ち主が言ってるから間違いないだろう。

 

 

と、そこで一緒に来ていた別の同僚B君がふと質問した。

 

B君「ってか、このRumbaって名前何?」

 

すると同僚は、

「え?Rumbaの名前?それって品番のこと?」

と、言っている意味がわからないという顔で答えた。

 

B君「いや、お宅のRumbaちゃんの名前だよ」

 

同僚「いや、Rumbaに名前なんかつけないよw」

 

B君「え?!名前つけないの?!」

 

と、B君は信じられないという顔をして、ぽかーんとしていた。

 

しかし、何を隠そう、僕も心の中で「マジか」と唖然としていた。

 

あなたも友人と話していて、一度はこの話題になったことはないだろうか。

そう、「自分の所有物に名前をつけるかつけないか」議論である。

 

僕もこれまでに何度かこの話題で激しく議論し合ったことがあったが、まさかホームパーティーの場で再びこの議論をすることになろうとは思いもしなかった。

 

その場でも名前をつける派とつけない派に二分された。

この話題はほぼどちらに偏りがあるわけでなく、経験上ほぼ同数での対立となる。

 

ちなみに、僕は「名前をつける」派だ。

小中学生の頃は愛用のチャリに「グランドファルコン」という(今から思えばダサい戦隊モノのような)名前をつけていたし、このブログを書いている愛用のMacにももちろん名前をつけてる(名前はヒ・ミ・ツ)。

 

名前をつける対象は人それぞれだと思うが、おそらく持ってる物全部に名前をつける人はそう多くない。

普段愛用していて、長期的に使い、最初手に入れる時にも吟味したものなど、ある程度人によって、名前をつけるかどうかには定義があるはずだ。

僕もMacには名前があるが、iPhoneには名前をつけていないし、つけようと考えたこともなかった。その定義は自分ではっきり認識しているものではなく、潜在的もしくは直感的なものなんだろう(もしくは適当)

 

しかし、名前をつけない派からしてみれば、「いやいや、そもそも最初からその製品には名前じゃないか」という意見があるだろう。

今回の話題のきっかけとなったルンバにも「Rumba(ルンバ)」という製品名があるし、車にも車名、PCにもMacとかLenovoとかいうように製品名がある。

すでに名前があるものに、なぜあえて別名をつける必要があるのか、それに意味があるのか。

おそらくこういう主張が予想できる。

 

確かにそれももっともな意見だと思う。そして、それはそれで正しい主張だとも思う。

ただ、考えてみてほしい。

製品名は果たして「名前」と言えるのか。

 

製品名とはその製品の総称だ。その対象の分類名だと思う。人で言えば「人」であり、犬であれば「犬」だ。

しかし、我々は生物に対しては、その総称では呼ばない。自分のペットの犬に対して「犬」と呼びかけないし、猫に対してももちろん「猫」とは呼ばない。

ちゃんとそれぞれに別途その対象を示す「名前」をつけて、名前で呼びかける。

 

それは、その対象を別のものとは区別し、さらに愛着が込められているからこそ、名前をつけているのではなかろうか。

そう考えれば、それがたとえ生物ではなかったとしても、自分の愛用のモノを他のモノとは区別し、愛着を持って接したい場合、名前をつけるというのはとても自然な行為だと言えるのではないだろうか。

と、名前をつける派としては思うわけである。

 

 

そして、この名前をつけるかどうか議論は男女、性別も関係がない。

 

男で僕と同様に自分のチャリや車に名前をつけているやつは多いだろうし(公開非公開はさておき)、女の子も自分のぬいぐるみに名前をつける子がたくさんいる。
世代別で言えば、おそらく子供の方が名前つける派は多いだろうが、大人になっても名前をつける習慣がある人は数多くいるだろう。

 

つまり、名前をつけるか議論は、老若男女問わず、そしておそらく国内だけでなく、海外でもグローバルで議論できるテーマではないかと思う。(壮大)

 

 

しかし、この議論が”議論”として成立しないところは、結論が定まらないところだ。

 

どちらが正しい、どちらが間違っているというものではない。いつ誰と話したところで、完全に「自分次第」ってことで最終的な着地となる。

人が自分の愛機に心の中でどんな名前をつけて呼ぼうが、誰にも迷惑がかかるものではない。逆に、所有物をそのまま所有物の名称としてしか認識していなくても、普通に機能するし使える。所有物がふてくされて動かないということはもちろんない。

 

ただ、物に名前をつけることによって、その所有物に対して”愛着”がわくことが事実だと思う。

 

僕の以前の愛機であるチャリも、普通に”自転車”としか考えていなければ、それだけだが、”グランドファルコン”(名前がどうかはおいといて)と認識すると、それだけでそのチャリは一気に自分の相棒であり、パートナーとなる。

 

すると、必然的に大切にしようという考えも湧いてくる。

時々磨いてあげないとな、あんまり傷つけたりしないようにしないとな、とモノを大切にしたいと思う心が自ずと生じることは、モノを長持ちするための秘訣ではないだろうか。

 

そんなことを考えながら、早くマイルンバを買いたいなーと思う今日この頃だ。

 

P.S. 自宅へ招いてくれた同僚はルンバに名前はつけていなかったが、名前つけるか議論の中で、実は彼の嫁が、ルンバに「太郎」という名前をつけていたことがわかった。
なぜ太郎なのかまではあえて聞かなかったが、心の中で秘密で名前をつける人々は確かに存在しているんだと改めて実感した。

 

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