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タクシーに乗ってワンメーターで降りたら嫌な顔をされるってどうなの?

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今回は僕の友人が遭遇したあるタクシーでの出来事から、「タクシーワンメーター下車問題」について書いていきたい。まずは、事の発端である経緯から書いていこう。

ちなみに、今回は「駅からタクシーに乗るケース」について話がしたい。また、タクシーには、駅や人気スポット近辺に停車して乗客を待っている「停車中タクシー」と、乗客を乗せず道路を走っている「走行中タクシー」の2つのケースがあるが、今回の焦点は前者の「停車中タクシー」である。

友人が出くわしたあるタクシーでの出来事

先日僕の大学の友人から聞いた話だ。

彼はその日、仕事中に持病の偏頭痛がおきて体調を崩したそうだ。退社後に最寄り駅までなんとか電車で帰ったものの、駅から徒歩10分かかる家まではどうしても歩けないという状態になってしまった。そこで、駅のロータリーに停車しているタクシーに乗って家まで帰ろうとした。徒歩なら10分かかる距離も、タクシーなら1分程度で帰ることができる。そもそも歩く余裕がない。そこで彼は、外見は正常な状態を保ちながら、タクシーの運転手に「◯◯までお願いします」と伝えてタクシーに乗った。だが、そのタクシーの運転手の返答に彼は驚いた。

「えっ、すぐそこですよ?歩けばいいんじゃないですか?」

友人は「はっ?!」と思いながらも、「すみませんが、体調が悪いので近いですけどお願いします」と伝えた。しかし、運転手は明らかに嫌そうな表情をして、渋々運転を開始した。友人は嫌な思いをしながらも、体調の方が優先なのでとにかく家まで帰ろうと、もやもやを抱えたままタクシーに乗っていた。

だが、タクシー運転手はさらに衝撃的な発言をした。本当は家であるマンションの入り口近くまで行ってほしかったのだが、運転手が途中で「もうここで降りてもらっていいですか?」と言って途中で勝手車を止めたのだ。友人は腹わたが煮えくり返りそうになったが、偏頭痛でそれどころではなく、支払いだけ済ませてさっさと下車し、結局その場所から家まで歩いて帰ったらしい。

これが「タクシーワンメーター下車問題」の経緯である。

ワンメーター(1メーター)で下車することの是非

友人からこの出来事を聞いた僕は、タクシー運転手のこの対応はおかしいと思った。友人が何の理由もなく、ただ歩くのが面倒だからという理由で駅に停車しているタクシーに乗ったならまだしも、どうしてもタクシーに頼らざるをえない状況にいる人に対し、民間とはいえ公共財としての立場が強いタクシーという交通機関がそのような対応をすることはいかがなものだろうか。そして友人は体調不良の旨も伝えているのだ。ましてや、乗客はタダで乗っているわけではなく、ちゃんと代金を支払ってサービスを利用している。それをサービス供給側の都合で途中放棄することはどう考えてもおかしい。ホテルで宿泊客が安い部屋にしか泊まらないからといって、チェックアウトよりも早く出ていけと言っているようなものだ。
 

ただ一方で、タクシー運転手を完全に批判することもできない。そもそもタクシーの料金構造とタクシー会社の給与制度が、この問題の根本にあるからだ。

タクシー料金は初乗り運賃が設定されており、移動距離や時間によって追加料金が発生していく仕組みだ。だからこそ、タクシーが稼ごうと思えば、できるだけ遠方の客を乗せることが重要となってくる。つまり、ワンメーターという最低金額で下車しようとする客は、売上面だけで言えば一番乗せたくない客となってしまうのだ。それは客のおかれている状況に関係なく、固定された料金体系なのである。駅のロータリーはタクシーが多数連なり、自分の順番を待ち構えている。大きな駅になれば、数時間かけて順番を待つことも日常茶飯事だろう。それだけ待ってようやく乗車した客がワンメーターという最低金額で降車したいと言われれば、たしかに辛く、嫌になる気持ちはわからなくはない。タクシー運転手の彼にも生活があり、そのためには稼がなければいけないのだ。会社に個人タクシーになれば尚更である。

また、タクシー会社の給与体系もこのワンメーター下車問題に拍車をかけている。調べてみたところ、タクシー運転手の給与は会社にもよるが、ノルマ制である場合が多いらしい。会社によってはそのノルマを移動距離としている場合もあるが、ほとんどが売上金額のノルマを敷いている。そのため、月に稼がなければいけない金額が決まっており、そのためにいかに単価の高い客を多く乗せられるかがキーとなってくる。これは歩合制の営業マンの仕事のやり方と変わらない。だからこそ、数時間かけても遠方へ行く確率が高い大きな駅をターゲティングし、単価の高い客を乗せることにかけているのだ。

タクシーの料金構造と会社の給与体系によって、タクシー運転手はいかに単価の高い客を多く乗せられるかの戦いが求められる。だから、ワンメーターの近距離でも利用したい乗客のニーズと運転手の意向はベクトルが合わず、その結果お互いが嫌な気分になってしまうことになりかねないのだ。

このようなことを考えると、たったワンメーターで駅に停車しているタクシーを利用するのはかなり気が引ける。順番をずっと待ってようやく乗せた客が超近距離客だったらそれは嫌に思うだろうし、こちらとしても運転手に対しても申し訳ない気持ちになる。

ちなみに僕は、駅に停車しているタクシーはよっぽどのことがなければ利用しない。駅からタクシーに乗りたい時でも、タクシー会社に電話して駅の別の場所に迎えにきてもらうか、駅から少し離れて走行中のタクシーを止める。目の前にタクシーが止まっているのに面倒ではあるけれど、お互いが嫌な気分になるくらいなら、その手間をかけた方が自分としても気が楽なのだ。

乗客と運転手、Win-Winの関係を築くには

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駅から近距離でタクシーを利用する際に生じるこの問題に対し、良い解決策は何かないものだろうか。いろいろ考えてはいるけれど、一番のネックになってくるのは、"スペース(土地)"の問題じゃないかと思う。

距離によって乗り場を分ける

たとえば、駅のタクシー乗り場を「近距離用」と「遠距離用」に分けるということを考えてみた。ワンメーター程度でいけるほどの近距離でタクシーを利用したい人は「近距離用」のタクシー乗り場に並び、それ以外の人は「遠距離用」の乗り場に並ぶ。そして、タクシーは自分が乗せたい客の方の列に並ぶというもの。そうすれば、タクシー運転手としてははじめからその乗客が高単価の乗客なのか、そうでないのかがわかる。おそらく遠距離の乗客を乗せたいタクシーの方が多いだろうから、遠距離用の順番待ちは今と同様に混雑するだろう。だが、逆に近距離用の乗り場はそんなにタクシーは混まないにちがいない。であるならば、近距離であったとしても、乗客を下ろして速やかに元の乗り場に戻り、また乗せる、というサイクルを遠距離用よりも多く繰り返すことができるはずだ。タクシーの売上は「客単価×乗車回数」で決まる。遠距離の場合は、この客単価をいかに高めるかという勝負だが、近距離なら客単価は低いとしても「乗車回数」を増やし、結果として売上拡大ができる可能性がある。

一方、タクシーを利用する側としても、乗り場が分かれていれば、タクシーもそれを承知の上で客を乗せているのだから、何の遠慮もなく、近距離でも利用することができる。両者にとってWin-Winな関係だ。

だが、実際のところ、問題になってくるのは"スペース"だ。駅のタクシー乗り場は既にパンパンで「近距離用」の乗り場を増設することは現実的とは言えない。また、今の乗り場を分割する余裕もない。良さそうなアイデアだと思ったが、現実的ではないだろう。

スマホの配車アプリを普及させる

次に考えたのは、「スマホのタクシー配車アプリを使う」ことだ。最近はさまざまな配車アプリが登場している。たとえば、日本交通がリリースした『全国タクシー』がある。全国47都道府県で利用が可能で、300社以上のタクシー会社が登録しており、近くのタクシーを呼び出すことができる。また、予約もできるので、あらかじめタクシーに迎車依頼をしておくことも可能だ。

このようなアプリをもっと多くの人が活用するようになれば、駅で待っているタクシーに乗らなくても、気軽にタクシーを呼び出し、近距離でも気を遣うことなく乗車することができる。実際にすでにリリースされ、多くの人が利用しているサービスなので、実現性も高い。

ただ、これにも問題となるのが、"スペース"だ。今回のケースは駅からの近距離乗車をいかに解決するかである。タクシーをアプリで呼び出そうにも、駅前のロータリーは混雑しているので来てもらうことが困難だ。そうなると、自分が駅から少し離れた場所まで移動する必要が出てくる。今回のケースのように体調不良の場合や、荷物が多くて歩いて移動できない場合など、そういった移動が困難かつ緊急性が高いケースに利用することが出来ない。

さらに、現状のアプリにもまだまだ利用をためらう部分がある。たとえば、迎車の場合は迎車料金が別途発生する。料金は利用する会社にもよるが、相場は310〜410円のようだ。近距離で移動するだけのために、初乗り運賃とは別に迎車料金を別途支払うのはためらわれる。そうなると普及は難しいだろう。また、高齢者など普段アプリを利用しない層でも簡単に利用できるように、インターフェースを改善していくことも必要だろう。

まとめ

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今年1月30日より、東京都の23区内と一部地域にて、タクシーの初乗り料金が従来の730円から410円へ大幅に値下げが実施された。これは、国内のタクシー業界が誕生して以来、初の値下げとなるらしい。

今回の改革を指揮した東京ハイヤー・タクシー協会の川鍋会長(日本交通会長)は、値下げの理由として、「高齢化社会に対応し、ちょい乗り需要を喚起する」ことと「訪日外国人の増加に対応し、外国人のタクシー需要を伸ばす」ことの2つをあげている。(参考記事:23区のタクシー初乗りが410円に

今回実施された値下げについて、遠距離の場合は従来よりも価格が上がることから、「実際の狙いは値上げだ」という声もあるようだが、年々輸送回数が減少しているタクシー業界において、やはり「ちょい乗り」つまり、近距離移動の需要を重要視していることは間違いない。

だが、経営陣や上層部の意図がどこまで現場のタクシードライバーに伝わっているか。タクシー会社が本当に近距離需要を取り込みたいのであれば、近距離・遠距離問わず、同一の丁寧なサービスが乗客に行き届く仕組みづくりと接客対応を、現場レベルで浸透させていくことが必要となってくるだろう。そして、運転手側にも近距離でも自分にもメリットがあるような組織や制度の整備が求められるだろう。経営陣が「お客様に良いサービスを提供しよう」と口でどれだけ言ったとしても、人事制度を含めたそのような仕組みが変わらなければ、運転手のモチベーションを高めることは難しい。

最後に、今回はあるタクシー運転手の対応を例に挙げたが、超近距離でも笑顔でとても親切に対応してくれる素晴らしい運転手も多数いらっしゃることを記載しておく。タクシー運転手は乗客を選べないが、乗客もタクシーに乗り込むまで運転手を選ぶことはできない。サービスの受け手と担い手という立場はあるものの、お互いが気遣いと礼儀をもって、良いドライブを過ごしたい。

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圧倒的な成果を出す人と出せない人のたった8つの違い

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僕は仕事柄、さまざまなビジネスマンと関わりながら仕事をしている。そんな中で、圧倒的な成果を仕事で上げる人もいれば、そうでない人もいる。その違いは一体何なのだろうか。ふとそれについて考えてみた。その結果、実はわりと単純な違いが、彼らの仕事の質とキャリアの違いをもたらしているのではないかと思った。

今回は僕が仕事をしている上で気づいた、圧倒的な成果を出す人と出せない人のたった8つの違いを紹介する。

圧倒的な成果を出す人と出せない人のたった8つの違い

こだわる部分の違い

成果を出す人は、「実行」することにこだわる
成果を出せない人は、「計画」することにこだわる

成果を出す人は、とにかく行動する。数をこなすことで質に転換することを知っている。そのためにすぐに動く。そして自分が動くことで、物事を実際に動かしていくのだ。

一方で、仕事で成果を出せない人は、最初の計画立案にこだわる。PDCAで言えば、最初の"P"の部分に比重をかけすぎる。リスクへの対処法を長々と議論し、社内の報告用の資料作りにも多大な時間をかける。そして、ああだこうだ言っている間に何をしようとしているのか目的自体が曖昧になってしまう。

そんなことをしている間に、すぐに行動に移す人は何度もトライを繰り返し、すでに成果をつかんでいる。

行動量の違い

成果を出す人は、量をこなせる
成果を出せない人は、最初から質にこだわる

成果を出す人は、圧倒的な行動量をこなすことができる。成果を出す人は、「量が質に転換する」ことを知っているのだ。最初は無我夢中に突き進んだとしても、その経験から学び、次に活かしていくことで、確実に行動の質が量に沿って向上していく。営業マンでいえば、はじめは100回200回電話をかけてもとれなかったテレアポが、数をこなすことで徐々に精度が増し、10回20回でアポがとれるようになる。

一方で、成果を出せない人は最初から質を求めようとする。数をこなすことは非効率だ。最初から精度を上げて無駄打ちをしないようにしなければいけない、と考える。その結果、先程のテレアポの例でいえば、営業電話をかける前に何度もトークを見直し、さまざまなケースを予め想定しておこうとする。そして、勇気を出して電話するまでに膨大な時間をかける。

だが、そんなことをしている間に、その隣で量をこなす人はさっさと初アポをゲットしているのだ。

仕事の進め方の違い

成果を出す人は、PDCAを回し、改善を繰り返して進める
成果を出せない人は、振り返らず、次の一手だけを繰り返して進む

成果を出す人は、自分の行動を振り返り、仮説検証を徹底する。その行動の結果が失敗であったとしても、何が問題だったのか、どう改善すれば良いかを考える。逆に成功した場合も、何が成功の要因だったのか、どう次に活かせるのかを考える。PDCAを何度も繰り返し、改善を積み重ねていくことで、より大きな成果を得ることができる。

一方、成果を出せない人は、振り返るという作業を怠る。結果を見直すことは億劫な作業であり、そんなことよりも次の施策を考えようと無作為に次へ進もうとする。その結果、経験から学ぶことができず、同じ失敗を何度も繰り返してしまう。

過去の経験から学び、次に活かしていくためには、行動の振り返りが重要である。

持っている知識の違い

成果を出す人は、自分の取り組む仕事について詳しい
成果を出せない人は、人事評価制度について詳しい

「成果」の定義だが、自分が携わる仕事上で付加価値をつけること、仕事での貢献度としたい。たとえば、営業マンなら受注数や販売金額であり、マーケターなら売上金額や集客数、人事なら採用人数や社員の定着率などがあるだろう。

仕事で成果を上げる人は、自分の仕事について膨大な知識を持っている。それは経験と勤勉によって培われたノウハウであり、それがあるからこそ、彼らは成果を継続してあげていくことができる。

一方で、成果を出せない人は仕事への理解が乏しい。そして勤勉に知識を得ようとせず、付け焼き刃で仕事をこなそうとする。その割には、社内の人事評価制度に詳しかったり、社内の福利厚生に対する知識はとても持っていたりする。自己評価には非常に敏感であるのだ。だが、本当に自己評価を高めたいのであれば、仕事の腕を磨き、成果を上げていくことが長期的なキャリアアップにつながる。

探す内容の違い

成果を出す人は、「できる方法」を探す
成果を出せない人は、「できない理由」を探す

よく言われることだが、成果を出す人は「できる方法」を探し、成果を出せない人は「できない理由」を探すのが得意だ。成果を出せる人は、「自分には解決策が見つけられる」ことを信じており、仕事の現場で徹底的に考える。そして試行錯誤の結果、ついには人にできないと言われていたことも成し遂げてしまうのである。

一方、成果を出せない人は、それができない理由を探し出し、いかにそれが不可能であるかという言い訳を報告書にまとめ上げ、会議で立派なプレゼンテーションを行う。だが、それで上司が納得したとしても、ものごとは何も進んでいない。

結局、何かを創り出す人は、できる方法が必ずあると信じ、最後まで諦めることなく、愚直に取り組み続ける人だ。

重視する点の違い

成果を出す人は、結果を重視する
成果を出せない人は、努力したことを重視する

成果を出す人は「結果」を重視する。自分の貢献によってもたらされた仕事の成果に対し、責任と達成欲を持っている。そのような人たちは、営業マンでもエンジニアでも、自分の日々の「目標」に集中し、結果を出すためにひたすら努力を惜しまない。

一方、成果を出せない人は、結果ではなく、「努力したこと」に注目する。たとえ結果が悪かったとしても、自分が努力したことへの評価を求め、自分がどれだけの苦労をしたかを伝える報告書を書く。

だが、本当にその結果(目標)を達成したいのであれば、努力や過程にこだわらず、一直線に結果に集中することが、目標達成のためには必要となる。

情報に対する違い

成果を出す人は、教えや情報を素直に吸収して成長しようとする
成果を出せない人は、中途半端に知識を知っていてプライドだけ高い

成果を出す人は、人やものごとから素直に学ぼうとする。自分がまだまだ"知らない"ことを"知っている"のだ。そして、より大きな成果を創り出すためには、もっと学ばなければいけないと常に考えている。その為、人から教えてもらう際にも謙虚な姿勢で教えを請う。

一方、成果を出せない人は、自分が知っていることを自慢し、人から学ぼうとしない。プライドが高く、素直に人に聞くこともできない。その結果、中途半端な知識しか持ち合わせることができない。

何かの分野で圧倒的な成果を上げようと思えば、その分野のプロフェッショナルとなり、圧倒的な知識を持ち合わせなければいけない。そのためには、素直に学ぼうとする姿勢が大切となる。

考え方の違い

成果を出す人は、ものごとをシンプルに考える
成果を出せない人は、ものごとを複雑に考える

成果を出す人は、あらゆることを「シンプル」に考えようとする。直面した問題に対しても、何が本質であり、何を解決すれば良いかと単純化させて考える。鉄鋼王であり、ロックフェラーと並び称された世界的な大富豪アンドリュー・カーネギーも「小さく砕いて一つずつ解決すれば、解決できない問題はない」と述べており、ものごとをシンプルに考える習慣を紹介している。

一方、成果を出せない人は、ものごとを複雑に考えようとする。自分は難しい問題と向き合っているんだと言っているかのように、問題を自ら複雑にとらえて考えようとする。その結果、適切な解決策もわからず、問題の分析をする報告書の作成に時間をかける。そして、作成した立派なプレゼン資料を見て、解決した気になってしまう。

ものごとはシンプルにとらえ、行動に移しやすくするようにすることが、成果を出すためには大切になってくる。ちなみに、「シンプルに考える」という話では『エッセンシャル思考 最少の時間で成果を最大にする』という本が参考になる。

エッセンシャル思考 最少の時間で成果を最大にする

まとめ

いかがだっただろうか?今回は、仕事で圧倒的な成果を出すことが出来る人と、成果を出せない人の違いを紹介した。圧倒的な成果を出せる人は、行動の人であり、自分の求める結果に向けて愚直に突き進むことができる人である。一方で、成果を出せない人は体裁や自分の評価にとらわれ、本当に重要なことを見定められていない。

一つ一つの違いはほんの些細な考え方の違いである。だが、その違いの積み重ねが大きな違いとなり、仕事における能力・成果の差になってくるのだ。

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「会議」という無駄な時間はそろそろ廃止にしないだろうか

無駄な会議をなくすための環境をつくる3つの方法

無駄な会議がもたらす弊害

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前回アップした『「会議」という無駄な時間はそろそろ廃止にしないだろうか』の記事の続きを書いていこうと思う。

無駄な会議には出たくない。出ることになんら生産的なものを感じない。むしろ会議によって無駄な時間を消費することで、モチベーションは下がり、それに時間をとられて本来すべき仕事ができない。そんな悪影響を会議がもたらしていることを認識しつつ、世の中の企業は「会議」という習慣を継続している。

会議がなくならない理由は前回の記事で述べたが、マネジメント層が現場を把握できていない、責任者がリスクをとりたくない、会議という文化が習慣化してしまっている、というようなことが理由として考えられる。つまり、会議の目的が本来あるべき会議の目的から逸脱し、全くの無駄でしかないものとなってしまっているのだ。その結果、本来するべき仕事が日中にできず、残業が増える。残業や無駄な作業が増えれば、社員のモチベーションは下がる。それゆえ組織全体の生産性が低下する。という悪影響を及ぼしている。僕たちははその問題にもっと真剣に向き合い、そろそろこんな茶番から抜け出すべきなのではないだろうか。

勝手に会議に出ないようにしてみた

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「今日から会議には出ない」と宣言する

そこで、「今日から俺は会議へ出ないことにする」と、完全に独断で会議への参加拒否を表明してみた。

もちろんまわりは「は?」という反応である。だが、そんなこと知ったこっちゃない。無駄なことにこれ以上かかわる必要がない。まわりが変わることを期待するよりも、勝手にやってみるのが一番だと判断した。

といっても、僕も完全に社会性が皆無であるわけではない。その環境をつくるために事前に下準備はしておいた。各ミーティングの関係者へは事前に確認をとり(かなり揉めはしたけれど)、自分が出席しなくても情報は伝達できる仕組みもつくった。

また、自分が管轄している部門ではそもそも全員参加する必要のない会議には出ることを禁じた。「◯◯について打ち合わせしたいんですけど」という相談に対しても、「それって別途時間とる必要ある?」と今一度会議に時間をとる必要性についてメンバーに考えてもらうようにした。最初は戸惑うメンバーもいたが、そのうちじょじょにそういったMTGの相談も減っていった。そして、何よりも"会議に参加しなければいけない"という空気感の払拭をすすめた。

会議に出なくなったら生産性が格段に向上した

今まで一日に3,4回と平気で入っていた会議を、ほぼゼロにした。どうしても出席する必要があるものを除けば、会議の出席依頼は断り、自分の仕事を進めることに注力した。その結果、どうなったか。上の図をご覧いただきたい。会議 に出ない運用を始めて約1ヶ月が経過したので、ある日の働き方を比較してみた。

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まず会議を毎日卒なくこなしていた時は、日中はほとんど会議や打ち合わせに時間をとられてしまっていた。会議のための資料作成や準備を含めると、5,6時間以上を社内会議や社外との打ち合わせのために時間を割いている。そして、ミーティングがちょこちょこ入ってくることによって、合間の時間も集中して仕事をすることができない。集中して作業できているのは、午前中の限られた時間と全ての会議が終わった後の19時以降(もちろん残業)からだけである。実質は4.5時間程度しか集中して作業ができていない。ちなみに19時以降は日中の会議でくたくたになっているので、本当に集中できているかは定かではない。(いや、できていないだろう)

そして、無駄な会議に参加しなくなった結果(After)、劇的に仕事の効率が上がった。まず、日中はほとんどの時間を進めるべき仕事にフォーカスできるようになった。合間合間に打ち合わせも入らないので、集中して作業ができる。(定期的に休憩も含む)また、取引先とも相談し、お互いの時間を削減するため、オンラインでの会議に出来る限りシフトした。大画面のモニターを使えば、オンラインだろうが直接だろうがほとんど変わりはない。画面の共有も行えるので特に支障もない。来社いただいたり、訪問したりする移動時間も削減でき、体力的にも楽になる。

もちろん毎日このように自由に作業ができるわけではないが、以前と比較すれば明らかに実務に費やせる時間は増えている。そして、日中に仕事が進む分、残業も遅くならず、早帰りを進められている。

会議に出ないことで支障はないか

情報共有などで何か問題があったかといえば、全く問題はない。たしかに細かな情報でひろえていないものはごくたまにあるが、本当に些細な内容であり、本業へは影響がないものばかりである。むしろ不要な情報が入ってこなくなった分、無駄な情報に錯綜されることもなくなった。そもそもどれだけ無駄な情報を仕入れるために会議に参加していたのかということを改めて実感した。

そして何より、無駄な時間を減らしたことによって、本当にするべき自分の仕事に集中できるようになった。戦略設計や施策の実施に専念でき、プロジェクトの進捗スピードも加速し、これまで以上の施策の本数をまわせるようになっている。また、無駄な作業が減ったことでモチベーションとしても高まった(気がする)。個人的に考えても生産性は明らかに高まったといえるだろう。

また、チームとしても僕が会議で席を外していることが少なくなった分、コミュニケーションが加速し、細かな調整も速やかに進められるようになった。各個人が無駄な仕事に参加しないで良いという空気づくりをしたことで、自ずと打ち合わせの回数も減ったが、特にそれで困ったことはない。むしろダラダラと議論することがなくなり、さっさと実行する、というサイクルができた。

現時点で会議に費やす時間を省いたことは、個人的にも組織的にもかなり良い効果をもたらしている。

会議をなくすための環境をつくる3つの方法

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ではここまでのことをふまえて、どうすれば会議をなくすことができるだろうか。その方法を僕なりに考えてみた。

①現場にある程度の権限譲渡を行う

会議が必要になる理由は、決定権者(多くの場合、管理職などの役職者)が現場の状況を把握しておらず、正しい判断が出来ないため、現状を聞き、責任をうまく全体へ分散させてリスクヘッジさせながら、どうするかを決めるために実行されているからだ。

しかし、これはどう考えてもおかしい流れだ。だからといって、組織構成の話やマネジメントのあり方の話をし始めると話が大きくなりすぎる。そこで、いたってシンプルな解決策を考えた。現場の人間にある程度の権限を移譲することだ。

細かな部分までマネジメント側が確認しなければいけないという考えもあるだろうが、普段から現場を見ているマネージャーならまだしも、上司が現場の状況を理解していないのであればもはや現場の人間にどうするかの決済権をもたせた方が健全である。何よりスピードが早くなる。もちろん現場の人材の能力度合いにもよるが、ある程度の範囲であれば権限を譲渡し、現場で迅速な判断ができるような環境をつくることが考えられる。

②自動的に情報共有できる環境をつくる

上でも少しふれたが、そもそも自動的に情報共有ができる環境をつくっておけば、報告・連絡用の会議は必要ない。

たとえば、売上状況や営業実績、プロジェクト進捗状況であれば、Googleスプレッドシートを使えば、全員でリアルタイムで閲覧・編集できる。しかもタダでその環境がすぐに構築可能だ。それを見ればわざわざ会議を開く必要はないし、具体的な動きを知りたければ、個別にチャットで聞けばいい。もっと具体的な分析や簡易化をしたければ、SFAやCRMなどのクラウドサービスを利用するのも方法だろう。

ちなみに、それをモニターに掲載してまで会議をするケースも見受けられる。全員が情報をシェアできる環境で、本当にその会議が必要なのかどうかは、再度考え直す必要がある。

③どうしても会議が必要な場合のルールを設ける

そうは言っても、どうしても集まって話し合わなければいけない事柄はある。問題は会議のやり方や在り方である。では、会議を実施する際には、いくつかのルールを設けておくというのが生産的な会議をする上で大切になってくる。以下は、僕が実践している会議のルールだ。詳しい内容を書き出すと長くなってしまうので、ルールの概要のみ書く。

1) 最少の人数で行う

とにかく無駄な時間をなくすためには、無駄な会話を避けることが重要だ。そのためには、余計な参加者を増やしてはいけない。一つのテーマに対して必要最小限の人数で行うことで、コアな部分に集中でき、さらにスピードも早くなる。

2)  1回15分以内

1時間や2時間など長時間で会議を設定すると確実にダレる。人間の集中力はそんなに続かないし、ましてや意味のない会話がなされている状況であれば尚更である。そのため、1度の会議にかける時間を15分以内に時間制限をかける。そうすれば、その短い時間の中でしっかり議論し、意思決定をしなければいけなくなるので、参加者が一気に集中する。

3) 情報を事前共有しておく

会議室に集まってから、「さて、今日の議題は◯◯です。」と始まると、そこからその議題について各自が思考を回転し始めなければいけなくなる。急に良いアイデアは生まれないし、まずその内容を把握することだけでも時間をとられてしまう。そこで、話したい内容については、あらかじめ参加者に共有しておく。そうすれば、各自が内容を把握し、自分の意見をまとめた上でミーティングに出席するができる。

4) テーマをホワイトボード等で見えるようにしておく

これはちょっとしたテクニックだが、会議のテーマから逸脱してしまうことを避けるために、みんなが見える場所に会議のテーマを掲載しておくことがおすすめだ。おそらく会議室にはホワイトボードがあるので、ホワイトボードにその議題や課題をはっきりと書いておく。本当に意味があるのか?と首をかしげたくなるかもしれないが、人間は聴覚よりも視覚的にとらえた方が理解しやすい。百聞は一見にしかずである。だから、自分が考えるべきテーマを見える化することで、そのテーマに集中し、議論を進めることができるようになる。

ルールは組織体制や状況によっても異なるだろうが、上記の4つについてはどんなケースでも効率化できるのでぜひ試してみていただきたい。

まとめ

「会議をなくそう」ということは以前から唱われている。企業では、大手を中心に現在「働き方改革」ブームであり、その一環で「断捨離」という名の無駄を省く運動が盛んに行われている。しかし、実際会議の時間を大幅に削減することを実現している企業はほぼいないのではないか。

「会議を捨てる」という宣言は立派であるが、その実、それをどうやって実現できるかという方法を考えきれていないことが問題である。単に会議をやめるだけでは、もちろんトラブルが生じるだろう。情報の共有や意思決定のスキームがあることは、組織が成長していく上で必要不可欠なことである。つまり、大切なのは、「いかにして会議がなくても良い状況をつくるか」ということだ。会議がなくても、組織として必要な情報のシェアや意思決定がスムーズにいく環境をつくることが、事前に求められる。それなくして会議の撤廃はできない。

そもそも会議が果たしていた本質的な目的を考え抜いた上で、それを代用できる仕組みづくりを進めていくことが今後企業が働き方を変えていくためには課題になる。そして、生産性を追い求めるなら、それは早く取りかかった方がいい。

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「会議」という無駄な時間はそろそろ廃止にしないだろうか

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今回は世の中に溢れかえっている「会議」というものについて、改めてじっくり考えてみたい。

企業は「会議」であふれている

日本の企業全体においていえることだと思うけれど、どの会社もとにかく「会議」が好きだ。「◯◯会議」「なんちゃらミーティング」「〜の件打ち合わせ」と銘打って、一日に何度も会議が入る。これは急成長しているベンチャーでも同様のケースが意外と多い。みんな会議が大好きなのだ。

かく言う僕も、普段の仕事は会議で埋まりに埋まっていた。朝からチーム定例があり、個別での進捗報告があり、他部署との共同プロジェクトの打ち合わせが入る。そして、そのプロジェクトの会議を開くための相談が別途事前に入ったりする。これに加えて、取引先とのミーティングも入る。全部含めれば、一日のうち2,3時間は軽く会議に喰われている。もはや会議をするために通勤しているようなものだ。

ただ、これって本当に意味があるのか?と問えば、そのうちの9割以上が実は無駄だったりする。そして、それは僕以外のメンバーに問うても同じ反応が返ってくるだろうし、もっと言えば、世の中の会議に参加している人のほとんどが「会議って実はいらないんじゃね?」と内心では思ってるのではないだろうか。

そもそも会議の目的って何だっけ?

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そもそもだが、会議(ミーティング)ってなんのためにするんだっけ?ということを整理したい。あらためて考えると、会議には目的ごとにいくつかの種類がある。

報告・情報共有型会議

報告や連絡事項を伝達するための会議。売上状況やプロジェクト進捗、組織体制の変更連絡などを共有するために実施する。

意思決定型会議

何かのものごとを決めるために、関係者が集まり、意見を出し合って議論し、最終的にどうするかを決定権者が決めるために実施する。

問題発見・解決型会議

問題やトラブルが生じた際に、その原因を解明するために各関係者や専門家が集まり、多角的な視点から問題を考え、問題の原因発見を行う。また、見つけ出した問題を解決するための対策を練るためにも実施される。

ブレスト型会議

アイデアを生み出すことを目的に行われる会議。集まったメンバーでブレインストーミングを行い、意見を出し合い、それを発展させたり、組み合わせたりすることで、一人では考えられなかった素晴らしいアイデアを創出するために実施する。

他にも世の中には、会議という名目で上司が部下の教育をする「コーチング型会議」というものや、経営者や幹部陣から指示を伝える「指示命令会議」というものがあるらしい。とにかく会議というものはさまざまな形態をとりながら、本当に多くのビジネスマンの時間の比重を占めていることは間違いない。

なぜ会議が生産的でないものになってしまうのか

そのような目的があるにもかかわらず、なぜほとんどの会議が生産的なものにならないのだろうか。ミーティングの目的別にその理由を考えてみる。

①報告・情報共有型:「この情報いる?」と感じる内容がほとんど

進捗や現在の状況について報告したり、連絡をすることはたしかに大切だ。よくいわれるように「報・連・相」は組織として成果を上げるためには必要な仕組みだろう。

だが、実際の報告会議ではどうだろうか。たしかに報告はしているが、その内容はほとんどが「この情報っている?」っていう内容である。「その程度のことなら事前にデータを共有しておけばそれで事足りるんじゃないか」というようなものから、全く関係のないプロジェクトの議論が始まってただぼーっと座っているだけということもある。

会議はたいてい1時間や2時間というように時間を決めて行うことが多いが、時間の縛りがあることで、とりあえずその時間は会議をしなければいけないという暗黙のルールがある。それによって、不要な情報の共有が行われたり、関係のないメンバーまで会議に参加しなければいけなくなってしまう。

②意思決定型:「結局何の話だっけ?」とテーマから逸脱する

これもよくあることだが、「話が途中で脱線しまくる」。意思決定のために集まったにもかかわらず、あるテーマについて話しているうちに、「そういえば、〜ってどうなったんだっけ?」という話がポッと出て、みんながそれにつられてどんどん脱線してしまう。

③問題発見・解決型:余計な人まで集まり、いろいろうるさい

緊急会議が招集されたり、何かの課題を解決するために会議が開かれることもあるだろう。たしかに緊急性が高いものについては、すぐの解決が求められるため、関係者が集まって原因解明とその対策を練ることは必要不可欠である。

だが、この会議にしても注意点がある。スピードを高め、適切な結論を導き出すには、その問題解明や対応策を練るために本当に必要な最少の人数でやることが大切だ。しかし、参加者を集めるにあたり、建前で現場を知らない役職者を集めたり、直接関係のない部署まで集めて議論をし始めると、結局まとまるものもまとまらなくなってしまう。

④ブレスト型:「さて、案はありますか?」から始まる

クリエイティブなアイデアを創り出す際に、集まって議論することはあるだろう。このブレインストーミング型で集まることは一見悪くないよう気がする。みんなで集まって話し合うことで、一人では思いつかないアイデアも創り出すことができるということはたしかにありえるからだ。

だが、このブレスト型にも落とし穴がある。つまり、アイデア会議のやり方自体に問題があるケースが多いのだ。アイデア会議をするという話だけを共有を受け、メンバーが集まり、会議室のデスクに着いてから、モデレーターが「今日は◯◯というお題について話し合いたいと思います」と言い始めるケースだ。そこから参加者はいきなり思考をはじめ、案をひねり出さなければいけなくなる。

そんな付け焼き刃で出したアイデアなどその場しのぎでしかないことが多いし、人はどうしても他人の案を批判することがメインになってしまう。すると、議論が生産的になるどころか、まとまらずに時間が来てしまい、「では、いったん各自持ち帰って再度考えましょう」という締め方で結局何も案がまとまらないことが多い。

直接的な原因は何か

このように考えていくと、会議の目的自体が悪いというわけではなく、それを実施する方法や意図自体がズレてしまっていることが直接の原因だろう。そして、多くの人間が関係する会議では、それぞれの意図や思惑が交差しているため、本来の目的に沿ったアプローチがなかなか実現できないということは、致し方ない部分もあるのかもしれない。しかし、そうなのであれば、尚更会議の意味はないのではないかという結論にいたるのである。

会議がもたらす弊害は思っている以上に大きい

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上で書いたように、多くの会議が目的を果たさない無駄な時間になっている。そして、そんな会議が社員へ与えている影響は、我々が想像している以上に大きいものだ。

本当に行うべき現場のタスクが進まない

我々は何かしらの成果を上げるために働いている。つまり、何かしらの生産行為を行うことで、会社にとって付加価値を生み出すことが求められているといえるだろう。具体的に言えば、営業なら新規開拓や既存のアップセルなどの販売活動であり、マーケティングなら顧客を創出するためのマーケティング戦略の実施、人事なら採用活動や社内の人事制度・福利厚生整備など、生産的な仕事はたいていが「脳と手を動かす」ことである。

しかし、会議によってその時間が奪われ、日中に何時間も拘束されれば、自ずとその仕事が進まない。その結果、社内の生産性が低下する。当然といえば当然の結果が生じてしまう。

会議のための準備という無駄な工数が発生する

会議の影響は会議の時間だけに留まらない。会議を開くにあたり、"会議の準備"が発生する。会議のための資料作成、会議のための関係者連絡、会議のための会議、このような作業を全て合わせると、実は会議の倍以上の時間を会議へ費やしている。さらにこのような作業をするのは一人とは限らず、複数人で行うのであれば、準備時間×人数分の時間が発生する。時間計算した人件費に換算すれば、かなりの費用を会議へ費やしていることがわかるだろう。費用対効果、いわゆるコスパ的にそれが本当に見合ったものなのだろうか。

残業が増える

会議やその準備によって時間を奪われることで、本当にすべき仕事が日中にできない。しかし、仕事はやらなければいけない。その結果どうなるか。そう、残業が増える。

「残業時間を減らそう」「残業をなくそう」と高らかに宣言する企業は増えているが、その実、働く環境の見直しに本腰を入れている企業はどれだけあるだろうか。無駄な時間の見直しはされないまま、残業を減らそうと言っても効果はない。

無意識に社員のモチベーションが下がる

これも当然だが、会議によって仕事が進まず、残業が増えれば、社員のモチベーションは必然的に下がる。また、無駄な会議に時間をとられてダラけてしまうことで、尚更集中力は切れてしまう。生産性向上が叫ばれる昨今だが、モチベーションが下がったまま生産性を高めることは至難の業である。社員のやる気を高める環境をつくるとまではいかなくてもいいが、社員のやる気を削ぐような体制は生産性の低下に直結していることを把握すべきだ。 

成長スピードが落ちる

極端な話だが、社員が現場のタスクをする余裕がなくなり、資料作りに奔走するようになればどうなるか。確実に組織としての生産性は低下する。そして、生産性の低下は組織の成長スピードを落とすことになってしまう。さらには売上や経営状況にも影響を与えるだろう。無駄な在庫、無駄な人件費など無駄なものはスピードや売上に悪影響を与えるが、それと同じことが無駄な時間にもいえるのではないだろうか。

会議がなくならない理由

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なぜ多くの人が「意味がない」と感じている会議がなくならないのか。その理由を考えてみた。

①リーダーが責任をとりたくないから

僕は会議が多くなる理由は、リーダーもしくは担当者が自分で責任をとりたくないからだと思っている。自分が決めたと公然と言ってしまえば、何か問題があった時に自分の責任が問われてしまう。そもそも自分の判断だけで動くことが不安、という深層心理が働き、「みんなで決めたことなんだよ」と暗黙の内に示せる「会議」というツールを使っているように思う。しかし、リスクをとりたくないならはじめから自分が担当者となるべきではないし、ましてやリーダーなら尚更だ。

②やること自体が目的になっている

また、会議がなくならない理由として多いのが、会議を実施すること自体が目的になってしまっているケースだ。そもそも会議をやること自体が決められていて、それが"習慣化"されていることが、会議をやることを目的化させてしまう原因だろう。

"定例会議"は全く無駄でしかない

僕が特に無駄だと思っている会議は、「定例」と名のつく会議だ。

「定例会議」「定例ミーティング」「定例MTG」など会社によって呼び方は異なれど、週1回や月1、なんなら毎日という具合に、定期化されたミーティングがある。趣旨としては、定期的に集まり、売上状況やタスクの進捗について、日々話せていない事柄をシェアするというもの。

ただ、よく考えてみれば、そんなに共有すべき重要なことがあるのならリアルタイムですぐに共有すべきである。タスクの進捗や売上数字などは簡単にクラウド上でシェアできるようにしておき、いつでも確認できるようにしておけば済むことだ。そして共有がすぐでなくてもいいような情報はそもそも共有する必要があるのか自体を考え直すべきだ。そんな対策をとらず、定例という習慣だけで会議をやるのは無駄の骨頂である。

③上司が現場の状況を把握できていない

上司が普段から現場の状況を把握できていないことが会議を増やす原因の一つだ。他の作業に翻弄され、自分自身のチームの状況や部下の管理がおろそかになってしまうマネージャーは多い。しかし、上司にはチームの進捗や状況を報告しなければいけないので、定期的にメンバーを集め、今しているタスクやその進捗について質問する。そして、それを集約し、自分が普段から管理して指示しているかのように、上司に報告する。現場を指示し、成果を上げるためにマネジメントは存在するはずなのに、これでは本末転倒である。だが、多くの企業でこのような状況に実際に陥っているケースは多いのではないだろうか。また、ただ単に自分が現場を管理したいという支配欲から現場状況を収集するために、マネジメント層が会議を開くというケースもあるだろう。

このように見てみると、会議がなくならない多くの理由が、マネジメント側に原因があるとも考えられる。

まとめ:働き方を変えるなら無駄な時間を削ることから始めよう

今世の中では、「働き方改革」というキーワードが注目を集めている。日本を代表する大手企業から中小企業にいたるまで、「働き方を変える」動きはどの企業でも実施され始めている。最近ではその運動をプロジェクト化し、「働き方推進室」なる部署や室を設け、より積極的に仕事の見直しを図ろうという動きが巻き起こっている。

業務の棚卸しを施策として行う企業も増えてきているようだが、業務というよりも時間ベースで見た際に、どこに一番工数をかけていて、それは本当に必要なものなのか、ということをゼロベースで考え直すことが必要だ。その中で、「会議」の見直しはかなりのインパクトがあるだろう。無駄な時間を削減し、本当にやるべき・やりたい仕事に集中する環境をつくることは、自分自身のためにも組織のためにも生産的であるといえる。

一方、これまでさんざん会議に対し反対派の主張をしてきたが、会議の全てが必要ないと考えているわけではない。会議は現代だけでなく、数百年前の武士の時代にも存在していたし、さらにいえば紀元前の時代から、会合という形で存在していた。これだけ人類が誕生し、組織社会が形成された歴史と平行して、会議が存在し続けているのも、それが組織にとって必要不可欠なものだからに違いない。会議も何かを生み出したり、円滑にしたりするためのいわばツールである。であるならば、要はそれをいかに使うか、ということが大切だ。自分自身も合わせて、会議の在り方と意義について、改めて考えてみるべきだ。では、今回はこの辺で。

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超簡単!オシャレで見やすいプレゼン資料・企画書の作り方【15のテクニック】

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プレゼン資料や企画書を作らなければいけないという機会は今日どんどん増えているのではないだろうか。営業ではクライアントや新規見込先への提案用として、マーケティング部や企画部では社内報告用としてなど、部署や業務によって内容は異なれど、資料作成という仕事を経験している方は多いだろう。また、学生の方でもゼミや授業で利用するケースも多い。その際に重要となるのは、「いかに聞き手に伝えられるか」ということだ。そのためには、話の仕方、ストーリー構成などさまざまな要素が必要となってくるが、その中でも「資料のわかりやすさ」はとても大切なポイントである。

プレゼン資料・企画書をわかりやすく見せるためには「資料のデザイン」がキーになる。しかし、デザインとなると「何をどうすれば良いのかわからない」という声も多い。実際に資料の作り方については、我々は学生時代から具体的に教わるという機会はなかなかない。ほぼ独学で身につけないといけない。だが、デザインというものを難しく考える必要はない。実は、ちょっとしたコツとテクニックを知っているだけで、誰でも簡単にオシャレでわかりやすいデザインができる。

今回はプレゼン資料・企画書・提案書のデザインを簡単にオシャレに見せる方法をご紹介したい。

オシャレなプレゼン資料の作り方①:配置編

関連するものをまとめ、近接させる

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まずは同じグループに属するものを「近接」させる、または「グループ化」する方法について紹介する。

資料のデザインにあたり、よく陥るパターンとして、箇条書きを使って内容を羅列してしまうことがある。(Beforeを参考) このように並べてしまうと、何がどうつながっているのかがいまいち理解しづらい。そこで用いる方法が、「関連するものを近接させる」という技である。グループ化ともいえるが、関連するもの、同じ内容の枠組みのものについては、お互いを近づけ視覚的にも関連性が高いことを明確にする。一方、同じ内容でないものについては距離をとることで、それが別の要素であることを示すことができる。さらに後程紹介するコントラストや整列と合わせてデザインすることで、より一層見やすいスライド資料を作成することが可能だ。

端をそろえ、整列させる

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見やすい資料をつくるにあたってとても重要となるのが、この「端をそろえる」というテクニックだ。

まず、Beforeをご覧いただきたい。タイトル、テキスト、画像がばらばらに配置されている。作成者からすれば、一見特に違和感はないかもしれないが、読みては目線を都度移動させながら、資料を読んでいかないといけなくなってしまう。これでは伝えたいことをシンプルに伝えることが難しく、内容理解に気がいってしまう。

それを防ぐ方法として、「端をそろえ、整列させる」という方法がある。 (After参考) 今回は左詰めで端をそろえている。タイトル、テキスト、画像を一つの線に沿って整えることで、読み手の目の移動が容易になり、視認性(認識しやすさ)及び判読性(理解しやすさ)が増す。一番簡単にきれいなデザインをつくることが出来るので、初心者の方は、まずこの「端をそろえて、整列させる」ということを意識することから始めても良いだろう。

 Power Pointで簡単に列を整える方法
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プレゼン資料や企画書、提案書をつくるにあたって、PowerPoint(パワーポイント)で資料をつくるケースが一番多いだろう。(Macの方ならキーノート)そこで、パワポで簡単にコンテンツを整列させる方法をご紹介しておく。

上の図を確認いただければと思うが、まずは上部に図の書式設定のナビゲーションを表示させておき、整列させたいコンテンツを全て選択する。次に、上部にあるナビゲーションの中から「整列」ボタンをクリックし、「整列」→「左揃え」の順に項目を選択する。そうすれば、簡単に左揃えで整えることができる。

他にも、中央揃えや上下を揃える方法があるので、いろいろ試してみていただきたい。しかし、「中央揃え」は簡単に見栄えがわかりやすくなるが、素人っぽいデザインになってしまうので、なるべく避けた方が良いだろう。

文字やスライドにコントラストをつける

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 フォント(文字)やスライドデザインに「コントラスト」をつけることで、さらに見やすく資料をデザインすることができる。コントラストは、日本語では対比と訳されるが、ここでは「強調」という意味合いが強い。

上のBeforeのスライドをご覧いただきたい。上記でご紹介した近接と整列のテクニックを使ってある程度わかりやすい見え方にはなっている。しかし、どこにどう注目すればいいのかという部分がまだ弱い。読み手が資料を見た瞬間に、パッと感覚的にどこに何があるのかということを認識してもらえるようにしたい。そこで使えるのが、「コントラストをつける」という方法だ。

次にAfterのスライドを見ていただきたい。まず、タイトルの背景を茶色に変え、パッと見た瞬間にタイトルと中身のテキストとの違いと役割分担がわかるようになった。さらに、箇条書きで書かれたテキスト部分では、各項目について色を変更し、ボールド(太字)にして強調した。逆に、各項目の中の説明部分については、フォントサイズを小さくし、小見出しとの違いをはっきりさせた。

コントラストをつける方法としては、このように「色を変える」「ボールドで強調する」「フォントサイズを変える」などの方法がある。ケースによって使う方法は異なるので、いろいろ試してみることをおすすめする。

余白や行間を意識する

見やすい資料をつくるにあたって、「空白」を意識することはとても重要となる。空白については「余白」と「行間」の2項目に分けて紹介する。

尚、文字間隔もデザインをする上で大切なポイントとなるけれど、そこまでこだわり始めるとかなりの工数がかかってしまう。この記事では「誰でも簡単にオシャレなプレゼン資料のデザインができる方法」に特化しているため、今回はあえて割愛した。

では、まずは余白について考えていこう。

余白をしっかりとる

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十分な余白をつくることは、視認性(見やすさ)を高める上でとても大切な要素だ。

Beforeのスライドをご覧いただきたい。スライドギリギリまでテキストが記載され、タイトルとテキスト部分も詰め詰めである。このようなケースは、パワポ資料に限らず、ワードやエクセルの企画書や提案書でも多く見受けられる。余白がないギュウギュウ詰めの文章や資料は、読み手にとって読みづらく、窮屈感がある。

そこでAfterのスライドでは、スライドの上下左右に十分な余白を設けた。さらに、タイトルとテキスト部分の間にも適切な距離をとることで、タイトルとテキスト部分を明確に分けることもできる。(別項目で紹介した近接のテクニックも含んでいる)

とにかく資料は余白をとろう。余白を意識することで、自ずとシンプルなデザインのプレゼン資料を作ることができる。

適切な行間をとる(1.25〜1.5倍がおすすめ)

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余白と合わせて意識すべきなのが、「適切な行間をとる」ことだ。行間とは、文の行と行の間のことである。普段特に意識することはないかもしれないが、この行間をしっかりとることで、読みやすい文章をつくることができる。

上の文章をご覧いただきたい。行間が狭いとごたごたしていて、判読性(読みやすさ)が低い。単純に言えば、読みづらい文になってしまう。そこで、行間を調整し、文と文の間の距離を広げる。適切に行間をとることで、読みやすく、ゆとりがあるデザインになる。しかし、単に行間を広げればいいというわけではない。不必要に行間をとりすぎると、近接のルールから逸脱し、逆に読みづらい文になってしまう。適切な行間をとるということが大切だ。ちなみに、行間は1.25〜1.5倍でとることがおすすめである。

我々が普段読んでいる本や雑誌でも行間はとても重視してデザインされている。次に本を読む際には、行間を意識しながら読んでみるのも参考になるだろう。

PowerPointでの行間の設定方法

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整列に引き続き、行間についてもPowerPointで簡単に調整することができる。上のキャプチャを見ていただきたい。まずは行間を指定したいテキストを選択する。そして上のナビゲーション部分で「図形の書式設定」を選択し、そのナビゲーションの中から「行間」を表すアイコンをクリックする。すると、リストが表示されるので、その中から適切な行間を選択するだけだ。ちなみに、行間は1.25〜1.5倍にするのが無難であるが、1.25倍は選択項目にないので、「行間のオプション...」という部分を選択し、詳細画面で「倍数」を選んだ上で入力欄に「1.25」と入れれば調整可能だ。

オシャレなプレゼン資料の作り方②:配色編 

色の比率(70:25:5)を意識する

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プレゼン資料をつくるにあたって、「色を戦略的に使う」ことはとても効果的だ。

そこで、まず意識するべきなのは資料で利用する色の役割だ。資料で使う色は大きく分けて3つの役割の色に分類することができる。また、色の適切なバランスをとるために、それぞれの色の比率を押さえておく。

  • ベースカラー(70%)
    資料の一番大きい部分を占める色。背景や余白部分にあたる。

  • メインカラー(25%)
    その資料の印象を決める色。まさしくメインの色。
    社外向け資料では、自社の企業カラーやサービスのカラーを用いる場合が多い。

  • アクセントカラー (5%)
    目立たせたい部分や強調したい部分に用いる色。全体を引き締める効果もある。

 この3つのカラーの配分によって、資料全体の印象は大きく変わってくる。適切な色を適切なバランスで組み合わせることが、見やすくオシャレな資料の秘訣である。

使用する色は「4色」まで

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一つ前の部分で書いたように、資料に使う色は基本的には「ベースカラー・メインカラー・アクセントカラー」の3色のみだ。あと、文字の色は別途異なる色を使うケースが多いので、その色も合わせれば合計で4色となる。資料をつくる際には、この4色以上は使用する色を増やさないこと。色が増えれば増えるほど、スライド全体がごちゃごちゃしてわかりづらくなってしまう。無駄に色を追加するのではなく、自分が決めた色のルールの中で、うまく色を組み合わせてデザインをしていくことが大切だ。

原色は避け、彩度が低いものを選ぶ

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色の選択において注意しなければいけないことが、「原色や蛍光色は選ばない」こと。

原色(赤・青・緑)や黄色などは、彩度(色の鮮やかさ)が高すぎるため、資料に用いると、色が主張しすぎてしまい、文字がとても読みづらい(視認性・判読性が低くなる)。そのため、原色や蛍光色はプレゼン資料作成時には利用せず、彩度が低い色を選ぶ。彩度が低い色は目にも優しく判読性が高いため、見やすく、わかりやすい資料をつくることができる。

ちなみに、スライドの背景は標準の白色を利用することが多いが、白色も明るすぎるため、画面で表示した際に読みづらい傾向にある。そこで、少し色をつけた限りなく白に近い色を使って、背景をくすませることが読みやすさに効果的だ。

オシャレなプレゼン資料の作り方③:フォント編

オシャレかつ伝わりやすい資料をつくるためには、「フォントにこだわる」ことが重要なキーとなる。フォント編では、プレゼン資料・企画書をつくる際に、どのようなフォントを選ぶべきか、おすすめのフォントを含めて紹介していく。

フォントは「ゴシック体」を選ぶ

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 まず、フォントの基本的な性質について説明しておきたい。フォントは和文といわれる日本語の文字と、欧文といわれる英語の文字に分類することができる。そして、和文は筆で書いたような書体「明朝体」とデジタル時代に発展したカクカクした書体「ゴシック体」に分別することができる。

明朝体は、可読性(読みやすさ)に優れた書体で、本や雑誌、論文など長い文章を書く際に用いられる。逆にゴシック体は長い文章になると、ゴタゴタしていて読みづらい。

一方、ゴシック体は、視認性(認識しやすさ)に優れた書体で、プレゼン資料や提案書など、画面やスクリーンで見せたり、要点をまとめた資料をつくる際に用いられる。

そのため、プレゼン資料や企画書をつくる際には、「ゴシック体」を選ぶ。逆に明朝体は画面やスクリーンではわかりづらいのでプレゼン資料では避けるべき。プロであれば、明朝体でもうまく見せる方法を熟知しているので、いろいろとアレンジもできるが、ノンデザイナーのビジネスマンであれば、細いゴシック体を選び、視認性と判読性(わかりやすさ)を同時に高めることが、見やすい資料をつくる最短のルートだ。

【和文編】Macなら「ヒラギノ角ゴ」、Windowsなら「メイリオ」がおすすめ

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結論から言おう。和文(日本語の文字)の場合、Macユーザーなら「ヒラギノ角ゴ」もしくは「游ゴシック体」、Windowsユーザーなら「メイリオ」もしくは「游ゴシック体」を選ぶことをオススメする。この3つのフォントは、シンプルかつ滑らかな書体でつくられているので、視認性と判読性に優れている。そして見た目も美しい。

最近アップデートしたパワポであれば、標準のフォント設定が「游ゴシック体」になっていることが多いので、そのまま使用するのも良いだろう。だが、古いバージョンでは「MSP ゴシック」が標準設定になっていることが多い。MSP ゴシックはゴシック体なので、たしかに視認性と判読性はあるが、見栄えがよくないのでフォントは変更して作成を進める。

【欧文編】シンプルな「Calibri」&「Corbel」がおすすめ

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日本語については上記で紹介したとおり、「ヒラギノ角ゴシック」「メイリオ」「游ゴシック」を選ぶことをおすすめするが、欧文(英語)に関しては同じフォントのまま書くことはおすすめしない。欧文の文字については、それ専用にフォントを指定する。手間かもしれないが、それによって見た目はかなり変わる。

結論から言うと、欧文(英語の文字)については、「Calibri」もしくは「Corbel」を選ぼう。この二つのフォントはとてもシンプルな書体で、視認性も判読性も高い。僕はCorbelの方がわりと好きなのだが、数字が独特なので数字表記が必要な場合はCalibriを使っている。

フォントはパワポやキーノートに内蔵されているフォント以外にも、Googleフォントに代表されるWebフォントやフリーフォントなど多数の種類があるので、自分のお気に入りのフォントを探してみよう。どんなフォントがあるのかを探すのも楽しい作業だ。

オシャレなプレゼン資料の作り方④:図・グラフ編 

図や画像、グラフをうまく使うことで、より一層伝わりやすいプレゼン資料をつくることができる。単に図を貼るだけではなく、ちょっと一工夫加えるだけで見栄えは大きく変わる。ここでは、図・グラフの効果的な使い方を紹介していく。

画像を背景として利用する

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まずは「画像」を使って見た目を大きく変える方法だ。 画像を効果的に活用することで、ぐっとオシャレで聴衆や読み手をひきつけるプレゼン資料をつくることができる。

はじめにBeforeのスライドをご覧いただきたい。よくある一般的なスライドだ。これでも伝わらないことはないが、インパクトに欠ける。特に、この資料で伝えたいことは、自分の好きなカフェの条件なので、それがイメージできる画像をもっと大体的に使っても良いだろう。

そこで、Afterのスライドのように手を加えてみた。スライドの一部に載せていた画像を背景として使用し、全面的に表示した。文字はそれに合わせて色調などに調整を加える。このように画像を背景に用いることで、一気にインパクトが増し、伝えたい内容をイメージしやすくもなる。注意点としては、画像のチョイスが重要だということ。画像であれば何でも良いというわけではなく、伝えたい内容と合致し、さらに読み手が見てオシャレだな、coolだなと思える画像を使うことが大切だ。

背景を画像にしたスライドに一工夫

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「画像を背景にすると、文字が書きづらい」「テキストを載せる範囲が狭い」という方もいるかもしれない。そんなときは半透明の図形を一枚かぶせれば、ぐっと文字を書きやすくなる。見え方も単色の背景よりもおしゃれに見せられる。自分の訴求したい内容に合わせた画像を背景としてうまく組み合わせて、伝わりやすい資料を目指そう。

PowerPointで半透明の図形をつくる方法

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上記で紹介した半透明の図形を簡単につくるために、PowerPoint(パワーポイント)のちょっとした小技を紹介したい。方法はいたって簡単だ。まず、対象の図形を選択する。次に右部分に書式ウィンドウが表示されていなければ、上部のナビゲーションの中から「図形の書式設定」をクリックし、右側にある「書式ウィンドウ」をクリックする。右側に書式ウィンドウが表示されれば、ペンキのアイコンをクリックし、「塗りつぶし」項目の中にある「透明度」の欄のメモリを調整すればいい。透明度数はものによって異なるので、スライドを確認しながら調整する。

グラフは伝えたい部分を目立たせる

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続いてはグラフの上手い見せ方だ。

よくあるのは、エクセルで簡単に作成したグラフや別の資料からコピーしたグラフをそのまま貼りつけるというケース。例としてBeforeのスライドをご覧いただきたい。データをそのままグラフ化し、エクセルで生成したものに、補助目盛線を加えている。

だが、このグラフだけでは結局何が言いたいのかがわからない。また、販売数がばらばらに波うっていて見づらい上に、それぞれの数値も目盛線をたどって左の数値を確認しなければわからない。見た目的にも事務的な図でcoolとはいえないだろう。

そこで、不要なものは省き、伝えたいことをシンプルに伝えられるようにする。(Afterのスライドを参考)たとえば、「カフェラテの販売数を伝えたい」ということであれば、他の飲み物のグラフを薄い色にし、カフェラテのグラフのみを目立たせる。さらに、販売数の数値も各グラフに表示すればわかりやすいだろう。不要な目盛線も省くことで、見栄えもシンプルにすることができる。グラフは手を加えればいいというわけではない。無駄にカラフルにしたり、目盛線を細かく設定したりすると、かえってわかりづらくなってしまうので注意が必要だ。伝えたい部分を目立たせ、シンプルに伝えられるようにすることを心がける。

オシャレなプレゼン資料の作り方⑤:+α編 

その他にもさまざまな手法があるが、特に押さえておいた方が良い、普段使えるテクニックとして、いくつかのプレゼン資料作成術を紹介する。

目次(アジェンダ)をつくる

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これは当たり前といえば当たり前かもしれないが、プレゼン資料のはじめに「目次(アジェンダ)」を入れる。目次があることで、読み手はその資料の全体像を理解しやすくなる。全体像を把握した上で聴く、読むことで内容の理解は格段にすすむ。構成がシンプルで、枚数が少ないものであれば目次をわざわざ入れる必要はないかもしれないが、ボリュームがある資料を作成する場合は、そんなに手間な作業でもないので、必ず入れておくようにしよう。

また、目次を作成することで、自分自身の資料への理解にも効果がある。全体像を改めて考え、不足していることはないか、逆に不要なものはないか、順序がおかしい部分はないかなど、ストーリー構成を見直すことができる。

 目次を途中にはさむことで今の位置を理解してもらいやすくなる

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資料のはじめに目次を入れるだけではなく、資料の各章の始まりごとに目次をはさむことも効果的だ。これから説明する章の部分を別の色に変えておけば、よりわかりやすい。今どこの部分のプレゼンをしているのか、現在の位置を読み手に把握してもらうこで、全体像を意識しながら、順序立てて内容を理解してもらえやすくなる。ちょっと一手間加えるだけで、格段に理解力が高まる方法だ。

箇条書きのアイコンを工夫する 

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パワーポイントやキーノートを利用すると、テキスト部分は最初からデフォルトで箇条書きで入力できるようになっている。それをそのまま利用して資料をつくる方も多いだろう。だが、標準の箇条書きのアイコン「・」では味気ない。デザイン的にも簡素である。(Beforeのスライドを参考)

そこで、Afterのスライドのように、「箇条書きのアイコンを自分でつくる」ということがおすすめだ。パワポなどで図形挿入で簡単に円やひし形などのアイコンをつくることができる。さらに、図形とテキストボックスを組み合わせれば、「1, 2, 3」というように点ではなく、数字のアイコンで箇条書きリストをつくることもできる。

内容には直接影響がない部分ではあるが、だからこそ一工夫加えることで、素人っぽくない、おしゃれなデザインの資料に仕上げることが可能だ。

ちょっとした図形を使うだけでもイメージは変わる

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ちなみに、別のバージョンの箇条書きアイコンもつくってみた。箇条書きの「・」の代わりに、三角形の図形を使った矢印のようなアイコンを使うことで、見た目が変わってくる。ビジネスマンの場合、資料のデザインに時間をかけ過ぎるわけにはいかないが、この程度であればサクッとアレンジでき、インパクトも変わってくるので試してみる価値はあるだろう。

プレゼン資料・企画書の参考になるサイトとオススメの本

デザイン力を高めるためには、とにかく良いデザインの資料を見まくることが一番効率的だ。自分が「カッコイイな、オシャレだな」と思えるデザインを見つけたら、それを保存し、どこの何が良いのかという具体的な要素を考える。そして、そのポイントをつかんだら、その手法を真似て実践してみる。良いものをインプットして、すぐにアウトプットで試す、というサイクルをつくっていければすぐに上達できる。

そこで、僕が資料作りで参考にしているサイトや読んでみて参考になったおすすめの本を紹介する。

企業の決算説明資料は"最高の教科書"

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決算報告は株主総会で四半期ごとに行われ、その度に株主に対し、経営陣は経営状況についての説明責任がある。それにあたり、株主へ現在の企業状況をわかりやすく正確に伝えなければいけない。そのため、作成された決算説明資料はとてもわかりやすくまとめられていることが多い。特に近年成長しているIT企業ではデザインにもこだわって資料を作成しているところが非常に多くなってきている。人への伝え方や資料のまとめ方において非常に参考になる。投資家だけでなく、資料作成をする我々にも非常に価値のある資料だ。上場している企業であれば、その企業の公式HPへいけば決算報告の部分が必ずあるので、そこで資料をチェックしてみてほしい。

ちなみ、僕がとても良い資料だなと参考にしているおすすめの企業をご紹介する。こちらもぜひ見てみていただきたい。各企業のコーポレートカラーをベースにした資料は、統一感があり美しい。データもシンプルかつ的確にまとまっているので、表の作成などにも参考になるだろう。また、プレゼンのストーリー立て、構成を考える際にも参考にしていただきたい。

株式会社リブセンス

株式会社サイバーエージェント

資料デザインの参考になるオススメの本

ノンデザイナーズ・デザインブック [第4版]

 デザインについて勉強をするなら、まずは『ノンデザイナーズ・デザインブック』を読むことを全力でおすすめする。これ一冊でデザインの基本的な原則をしっかりと身につけることができる。図や画像が豊富で、各カテゴリごとに問題が用意されており、自分で考えながら理解していくことができる。カラーやフォントについての説明もとてもわかりやすく記載されている。そして、紹介されている画像は見ているだけで楽しくなるようなオシャレでスマートなものばかりである。まったくデザインの知識がない方でも、すっと理解することができる最高の本だ。

増補改訂版 レイアウト基本の「き」

増補改訂版 レイアウト基本の「き」』は、デザインの基盤となる「レイアウト」について、初心者にもわかりやすく書かれている本だ。理論を元に基礎から説明があり、また画像やイラストも豊富なのでとてもわかりやすい。社内のデザイナーさんが勧めてくれたことがきっかけで読んだ一冊。

一生使える見やすい資料のデザイン入門

一生使える 見やすい資料のデザイン入門』は、SlideShareで公開されているスライドが人気となり、内容がさらに追加されて書籍化された本。初心者でも簡単に見やすい資料をつくることができる方法が紹介されている。具体的なノウハウが書かれているので、急ぎで資料の作り方を覚えたい方は、この本からスタートするのがおすすめ。

まとめ

今回はデザインの知識がない方でも誰でも簡単におしゃれなプレゼン資料・企画書をつくることができる方法をご紹介した。

デザインは聞き手や読み手に伝える手段として重要な役割を担うが、あくまで伝える内容自体に考える時間をかけるべきだ。ビジネスマンや学生は限られた時間で資料を作らなければいけないケースが多い。だからこそ、最低限のデザインテクニックを身に付け、内容を考えることに集中できる環境をつくっていくことが大切である。

今回ご紹介したテクニックが日頃の資料作成に、少しでも役立てば嬉しい。では、今回はこれにて。

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『マチネの終わりに』の感想とラストの続きを勝手に考えてみた

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k-hirano.com

平野啓一郎氏の人気恋愛小説『マチネの終わりに』を読んだ。
昨年にアメトーークでピースの又吉さんやオードリーの若林さんが紹介していたことで話題になった本だ。あまり恋愛小説は読まないのでスルーしていたのだが、本屋でひたすら陳列されているのを毎回見かけ、そろそろ読もうとようやく手にとったわけである。今回は個人的な感想と、ラストの続きを勝手に予想してみたいと思う。

『マチネの終わりに』を読んだ感想・書評

あらすじ

念の為、まず『マチネの終わりに』のあらすじを記載しておく。

物語は、クラシックギタリストの蒔野と、海外の通信社に勤務する洋子の出会いから始まります。初めて出会った時から、強く惹かれ合っていた二人。しかし、洋子には婚約者がいました。やがて、蒔野と洋子の間にすれ違いが生じ、ついに二人の関係は途絶えてしまいます。互いへの愛を断ち切れぬまま、別々の道を歩む二人の運命が再び交わる日はくるのかー

中心的なテーマは恋愛ではあるものの、様々なテーマが複雑に絡み合い、蒔野と洋子を取り巻く出来事と、答えのでない問いに、連載時の読者は翻弄されっぱなし。ずっと"「ページをめくりたいけどめくりたくない、ずっとその世界に浸りきっていたい」小説"を考えてきた平野啓一郎が贈る、「40代をどう生きるか?」を読者に問いかける作品です。

『マチネの終わりに』特設サイト|平野啓一郎

なぜこの小説は”美しい"と感じるのか

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この小説を読み終わった後、書評サイトを巡回し、いろいろな方の感想をのぞいてみた。その中では、一番多く書かれていたことが『大人の美しい恋愛』というキーワードだった。確かにこの小説は読んでいて終始”美しい”と感じた。でもそれはなぜなのだろうか。

この物語は、間違いなく「恋愛小説」というカテゴリに含まれる作品である。見知らぬ二人が出逢い、愛し合うようになる。恋愛というもの自体が美しさを与えるといえる。
しかし、ストーリーの中では、イラクでの事件、PTSD、《ヴェニスに死す》症候群、リーマンショックなど、凄惨な歴史や暗いテーマも多く盛り込まれている。
著者である平野氏も『マチネの終わりに』の特設サイトにて、読者へのメッセージの中で次のように述べている。

「小説の中心的なテーマは「恋愛」ですが、そこは僕の小説ですので、文明と文化、喧噪と静寂、生と死、更には40代の困難、父と娘、《ヴェニスに死す》症候群、リルケの詩、……といった、硬軟、大小様々なテーマが折り重なって、重層的な作りになっています」

『マチネの終わりに』特設サイト|平野啓一郎

さらに、主人公の二人は40代に入った男女である。10代20代の若者からすれば、中年のおじさんとおばさんの話と流されてもおかしくないような話のはずだ。しかし、そのようなテーマを盛り込んだ上でも、このストーリーには美しさを感じる。

その理由としていろいろ考えたけれど、それはストーリー自体とともに、それを装飾する美しいエッセンスが重層的に折り重なっているからではないかと思う。

中でもタイトルにある"マチネ"という言葉がある種、この小説の美しさの根本となっている。マチネとはフランス語で《昼公演の演奏会》という意味であり、フランスという場所設定とヨーロッパの時代を超えたクラシック音楽の二つが、このストーリー全体を飾っていることを表している。そして、時代に残る映画(架空のものも含む)、リルケの詩といった”芸術”という要素がさらに、物語を彩っている。さらに、主人公の蒔野と洋子の二人が外見でもスマートであり、内面的にも汚れのない純粋、純情な人間であることが、ストーリーの清純さを生み出しているのだろう。

さらに、著者が文章に散りばめたメタファーや芸術の引用が、美しさを助長している。この作品はそのようなエッセンスたちが重なり合うことで、総合的な芸術的美を生み出しているのだろう。

"大人の恋愛"とは何だろう

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この小説を語る上でキーとなるのが"大人の恋愛"というものだ。年齢がアラフォーの男女二人の恋愛を描いているのだから、もちろん大人の恋愛と言えるのだが、 そんな安直な意味ではないだろう。いろいろ考えた上で、"大人"というものが何かということを考えることが、それを導き出す最短ルートなのではないかと思った。

10代20代の恋愛は、「俺が俺が」「私が私が」という考え方に偏りがちだ。それは自分の思い通りに相手を動かしたい。自分の考える通りに相手にそうあってほしい。という自己中心的ともいえるかもしれない。しかしこの物語に登場する主人公の二人はイラクと日本、フランスと日本、ニューヨークと日本というように遠距離での恋愛を過ごしていくのだが、その中で常にお互いに相手のことを想い、おもんばかる。そして、相手の状況を鑑みながら、自分というとのを抑え続ける。それは言い換えれば"自己犠牲の伴う愛"といえるかもしれない。そういう思いやりがある恋愛こそ、"大人の恋愛"であり、年齢ということを越えて描かれているテーマなのではないかと思う。

なぜお互いの気持ちを伝え合うことができなくなるだろうか

大人の恋愛が相手を思いやり、自己犠牲を伴う愛という話をしたけど、このストーリーの中で蒔野と洋子にはそれだけでなく、大人になって増えていくシガラミの強さを感じた。

僕は彼らが別れることになってしまったのは、三谷早苗のせいではないと思っている。結局は相手に一歩踏み出すことをし合わなかった二人の責任だ。建前、良識という壁をつくってしまうことで自分で自分を動けなくしてしまっているんじゃないのかな。

それを行動力のなさという言葉で片付けてしまうことは安直すぎる気もするけれど、お互いを理解し合うことは自分だけの熟慮や思いやりだけではなんともできないところがある。相手の心のドアをノックしてその奥へ一歩踏み出し、本当の相手と対面することが、コミュニケーションであり、お互いを理解し合うためには必要な時があるのではないだろうか。そういう意味では、やはり一歩踏み出す勇気ないし行動力が、幾つになっても必要になるのだろう。相手への深い思慮は行動という一番大切なものを奪ってしまう危険性があることを僕たちは認識しないといけないんだ。

葉隠の言葉の中で「恋しなむ 後の煙でそれと知れ ついに明かさぬ 胸の思いは」という武士道精神を語った言葉がある。古来日本では男子たるもの胸中の苦悩や主張を軽々しく表に出すべきではないという考え方を是とし、それを在り方の”美”としていた。僕はその考え方がかっこいいと思うし、そんな武士の在り方が素敵だとも思う。自分には絶対できないから。

しかし、西洋文明がこれだけ浸透した昨今では、お互いの気持ちを素直に伝え合うことが、男女互いの理解を深めるには大切なのではないかと思う。特に江戸時代と比較し、情報が大量にあふれ、メール、ライン、ネットなどなどコミュニケーションツールも整備され、否が応でも人と人のつながりが強化されている世の中では、お互いの気持ちを正しく伝え合うことの必要性は逆に増していっている。

それに日本には”気遣い”という”和”の心が存在する。自分の意見を主張することに抵抗を感じ、場の空気を善かれ悪しかれ読んでしまう。だから、多少意識的に素直に伝えようとするくらいでちょうど良いのかもしれない。

平野氏が提唱する"分人思考”という人間観

平野氏は”分人”という人間観を以前から提唱されている。“分人”とはざっくり言えば、「個人といえども一つの性格で構成されているわけではなく、相手や状況に応じて、その性格や人間性は変わる。つまり、個人の中に複数の分人が存在している」という考え方だ。『ドーン』でもこの分人という考えが根本として描かれている。分人の考え方については、別著『私とは何か――「個人」から「分人」へ』を参考にされるのが良いだろう。

この作品においても、主人公の蒔野は状況に応じて複数の顔を見せている。仕事の関係者といるときには、ひょうきんでちゃらけた人。師といるときは真面目で音楽に情熱をかける人。そ自分一人で物事を考えるときは、繊細で少し冷めたところがある人。して、洋子といるときは優しく、思いやりにあふれた人。

これは我々実際の人間にも至極当然に見られる”使い分け"であるが、よくある小説ではこの個人の中にさまざまな人間性が盛り込まれているという描き方はあまりされることがないように思う。このキャラクターはこういう性格、というように人間というものを単純化し、ストーリーにわかりやすさを持たせる場合が多い。実際の人間の思考や対応をそのまま描くことで、リアル感と共感性を生み出す効果が副次的にあるのかもしれない。

ちなみに、分人という考えとはちょっと視点が異なるが、やはり人間はその状況によって、性格や人間性が変化するということも読んでいて思ったことだ。コッポラ監督の名作『ゴッドファーザー』の中で、正義感の強いマイケル=コルレオーネがドンのポジションについた後、人がガラッと豹変するように。また、司馬遼太郎の作品『峠』の中でも、主人公である河井継之助が「人をつくるのは立場だ」ということを言っている。”立場が人をつくる”。人は環境に依存する動物であり、その本質は古来から変わっていないのだろう。

三谷早苗という存在

ネットで書評をみていくと、三谷早苗へのバッシングが非常に多かった。
自分が惚れている蒔野を洋子に奪われることへの恐れと嫉妬から、二人の仲を裂く偽りのメールをつくり、さらに自分が蒔野と結婚し、不満のない生活を過ごす。そして、洋子と蒔野が再び出逢うことを阻止する。極めつけは、それだけ身勝手な横暴をしておいて、自己の罪悪感に耐えきれず、自分の罪を蒔野へ告白し、自分の罪悪感の重圧から逃れようとする。まぁたしかに短慮で最悪なやつというレッテルをつけるに値するキャラクターである。

でも、そんな三谷早苗を僕たちは本当にバッシングできるのだろうか。たしかに客観的にみても、早苗は明らかに短慮で身勝手である。短慮による自己中は他人を傷つける。そして、自分だけが幸せであればいいという考えが、まわりの人の混乱をもたらしてしまうことがある。だが、ある意味でいえば、それだけ三谷早苗は全力で蒔野という人間を愛したのだろう。それは片方向であり、相手を思いやる自己犠牲が伴う”大人の恋愛”とは決して言えない。だが、彼女は子供のように自分の欲に忠実であったと言える。なんのしがらみも考えず、ただただ自分の求めるものを得たいという考えが先行した結果、あのような偽メールという行動に出たのだろう。自分の欲に忠実な人は、熟慮の人間よりも圧倒的な行動力をみせることができることも事実だ。そしてそれが結果として、誠実な人よりも自己主張が強い人が目的のものを得る理由なのかもしれない。

三谷早苗ももともとは蒔野という人間の幸せを願った一人であり、その人生という映画において、”名脇役”でありたいと健気に思っていた人である。自分勝手に振る舞うことが良いというわけでは決してないけれど、恋愛にはいろいろな想い方があるんだということを改めて考えさせられた。

嘘メールのくだりは無理がある。けど、ドはまりする

三谷がやった嘘のメールは物語の最大の展開ポイントだが、正直結構無理があるように思う。昼ドラや月9的にはおもしろいけど、いろんな状況補填をつくって、勘違いする状況をつくりあげたことは若干強引な気がする。返信文がうまく勘違いを促進してしまった場面は、若干アンジャッシュのコントのように勘違いネタみたくなってしまう危険性があるように思った。

しかし、そこからぐっと惹きつけられ、物語が加速し、本から手が離せなくなってしまったことは事実である。だから、多少強引でもあの展開は大正解ということなのだろう。次の日が早かったので早く寝ようと思っていたのに、結局午前2時半までかけて読み終わるまで寝れなかった僕が証明している。

『マチネの終わりに』と『冷静と情熱のあいだ』の共通点と違い

冷静と情熱のあいだ―Blu (角川文庫)

この小説を読みながら、辻吉成氏と江國香織氏の共著『冷静と情熱のあいだ』を連想させた。二つの作品には多くの共通点がある。舞台は海外(フランスとイタリアの違いはあるけど)、ヒロインはハーフ、第三者の介入によって二人が別れる、男は真相を知らされていなかった、二人だけが大切に胸に秘めていることがある、ラストシーンが読者の想像に任されている。また、音楽とアートの違いはあれど、ともに芸術という分野を描き、芸術とヨーロッパの美しい情景とともに描かれている。

お互いに愛し合いながらも、勘違いと行き違いから生じた別れによって、二人が別々の道を歩む。そして、10年の時を経て、二人は運命的に再会を果たす。けれど、クライマックスでは別々の道を歩むことを決断し、再び別れようとするが、ラストシーンでは彼氏が彼女を追いかけ、ミラノへ向かうところまでが描かれている。映画化された作品では、駅で再会し、笑って彼女の方へ歩き始めるところで幕を閉じる。その後二人がどうなったかは想像に任されている。

しかし、『冷静と情熱のあいだ』の場合は、もう少し話がシンプルであることが大きくことなる点だ。なぜなら、二人の状況の複雑具合が異なる。『冷静と情熱のあいだ』では二人とも未婚だし、ラストは彼氏彼女もいないフリーである。子供がいるわけでもない。仕事が支障をきたすわけではない。つまり、想像するにしても、二人が再び恋人になるであろうことは単純に予想できる。それがどう展開されていくのかということは想像する楽しさがあるけれど。

それに対し、マチネはどう転ぶのかというおもしろさがある。二人の性格を考えるだけでは足りない。二人が話しているときのタイミングやまわりの環境によっても大きく話はかわってくる。そこまで鮮明にイメージしながら、本格的に考えていくと、いろんなパターンが生まれ、それが想像する作業として楽しみを与えてくれる。 

 

 

ラストのその後を勝手に予想してみた

マチネの終わりに

あのラストを読めば、否が応でも物語の「その後」が気になってしまう。そこから妄想が膨らんでいく。というわけで、ここからは独断と偏見で、『マチネの終わりに』の「続き」を考えていきたい。

二人の置かれた状況を確認

まずは、状況を整理しよう。蒔野と洋子は、ラストの時点で置かれている環境だけでなく、お互いに「知っていること」と「知らないこと」に差がある。恋愛には情報の非対称性は必然だし不可欠な要素でもあるが、ラストのその後を考えるにあたっては、彼らの認識を把握しておくべきだ。そこで、蒔野と洋子ごとに「(自分が)知っていること」「(自分が)知らないこと」「ラスト時点で置かれている状況」という3つの項目を洗い出してみた。次の表をご覧いただきたい。

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上記を見ると、洋子の方が蒔野よりも正確な情報を知っていることがわかる。逆に蒔野は知っていることでも、洋子が結婚していて子供がいる、という過去の情報をそのまま認識してしまっており、肝心な情報を得られていない。また、置かれた状況としても蒔野よりも洋子の方が独り身のため、ある意味動きやすい環境にあるといえるだろう。一方、蒔野は守りたい家族が存在し、本来は憎むべき相手である早苗も妻として既に愛し始めていることに気づいている。状況の複雑さでは蒔野の方が圧倒的に動きづらい状況だ。

このようなことからも、蒔野は洋子を愛し、もう一度話したいと思う一方で、家族も守らなければいけないという責任感との葛藤が生じるだろう。また、洋子の方では、蒔野のそのような状況を理解していることから、相手の想いを察し、かつての自分の父のように、愛しているからこそ身を引く決断にいたる可能性が強い。

しかし、そもそも婚約中に洋子に告白し、洋子も婚約を破棄してまで、蒔野と一緒になろうとしていたアグレッシブさ、というか強い"磁力"のようなものが二人には存在している。そう考えると、二人とも最初は相手をおもんばかり、自分の気持ちを抑えようとするかもしれないが、結局はその強力な”磁力”に負け、本能のままに相手への気持ちを素直に表す可能性が高い。
 

予想した続きのストーリー

では、あのラストシーン直後の情景を考えてみたい。※ここからは完全に僕の妄想の世界である。

まずは「久しぶりだね」という蒔野の言葉から始まり、最初は常識のある大人として、他愛もない話から始まる。そして、ベンチに腰掛け、手前の池を眺めながら、最大限に理性を装って二人は話を続けていくだろう。しかし、相手を気遣い、お互いに早苗が嘘をついていたことは言いたいが言えない。伝えたい想いと伝えられない自分に、心で歯がゆさを抱きながら、二人はお互いが何を知っていて、何を知らないのかを探り合いながら話を進めていく。

そうして話す中で、本当に少しずつ、あの日のお互いの誤解の話になる。そして、遠回りにその誤解を解いていこうとするだろう。偽りのメールによる二人のすれ違いにお互いに何とも言えない辛さを感じる。そして、その中で二人はお互いがまだ愛していることを言葉で言わずともわかりあっていく。

しかし、愛を確かめたいけれど、蒔野の状況が話に出る。今は守らなければいけない大切な家族がいる。そして、蒔野は自分はその家族を愛していることも告げざるを得ないかもしれない。それを伝えるとき、洋子は辛い気持ちをひた隠し、優しい微笑みをもって、頷いて受け入れる。

そして、蒔野の状況と考えをきいた上で、洋子も正直に今の状況を説明していくかもしれない。自分は既に離婚し、独り身になっていること。そして、やはり今でも蒔野を忘れられないでいること。それをこれまでにないくらい素直に伝える。だが、だからこそ、自分はあえて自ら身を引くことを蒔野へ伝える。それが一番お互いのためなのだ、と自分にも言い聞かせるかのように。それに対し、蒔野はなんとも言えないつらさを抱えながらも、生まれてきた子供のことも思い浮かべながら、「そうだね」と言う。そして、再会を祝いながら、二人は再び別れる…
そうして蒔野は帰国の途につこうとする。だが、空港へ向かう車の中で、独り身でニューヨークで生活する洋子を想う。そしてそんな立場の彼女を一人置いて自分は帰国できるのだろうかと。そして、途中でついに感情が理性に勝ち、結局は洋子のところへ向かう。ここで大切なのは連絡先を交換したかどうかだ。おそらくしていないだろう。だから、昔交換していたメールとスカイプで洋子に連絡する。そして再会した場所でもう一度会おうと伝える。偶然連絡に気づいた洋子も、感情を素直に表し、飛び出していく。
二人は再会し、もはや何も考えることなく抱擁を交わす。

その後はどう決まるのか

個人的にはやはり二人は結ばれてほしい。そこまでお互いを必要とし、理解し合える二人はそう見つからない。そんな大切な人としがらみによって離れてしまうことはつらいことだ。二人が本当に笑いあって暮らせる日が訪ればいいなとフィクションながら思った。

ここまで書いてみてなんだが、その後を決めるのは、もしかすると彼らがどうこうというよりもその瞬間の環境次第なのではないかと思った。早苗が偽りのメールを送ったという些細な環境変化だけで、二人の関係は大きく変わってしまった。それはどこか主観性に欠け、外的要因を言い訳として何かに流されているようにも感じるが、それは二人が外部環境やちょっとした言葉の流れだけで大きく気持ちを動かしてしまうことを表しているのではないか。

つまり、結ばれるとすれば、知ってること知らないことを話始める順番次第で、環境が構築され、二人の今後が決まるかもしれない。または、セントラルパークを赤ん坊をつれた仲の良い見知らぬ夫婦が連れ立って歩いているのを見ることで決まるかもしれない。ジャリーラの話が最初に出ることで決まるかもしれない。その場その時のちょっとしたものが、この二人には大きな影響を与えるだろう。

そして、お互いが相手の心の中へちょっと強引にでも一歩踏み出すことができるかどうかがキーだ。洋子がコンサートに行ったことを言えるかどうか、今の状況を言えるかどうか、お互いがいまだに愛していることを伝えられるか、なんのしがらみも気にすることなく、ただただ相手への愛を表わせられるか。その勇気または行動力が、彼らの今後の人生を再び大きく変えることができるだろう。

さいごに

いろいろ書いてきたが、蒔野聡史と小峰洋子の二人には、まだまだ理解できない点、物語の奥底にはわかっていない点が多数ある。しかし、平野さんも著書の冒頭で、

「彼らの生には色々と謎も多く、最後までどうしても理解できなかった点もある。私から見てさえ、二人はいかにも遠い存在なので、読者は、直接的な共感をあまり性急に求めすぎると、肩透かしを喰らうかもしれない」

『マチネの終わりに』序

と述べている。二人の状況や心情を理解しようと努めることはなかなか困難なことである。人を理解することはそもそも難しいことだから、当たり前といえば当たり前かもしれないけれど。でも、正解が存在しないことに自分なりの正解を見つけ出そうとする作業は、想像力の勝負であり、ロジックとクリエイティビティが創り上げるものだ。それは楽しい作業には変わりない。そして自分が考え創り上げた妄想をいろんな人とシェアして、見解を交換し合いたいとも思う。

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読書オタクの僕がおすすめする「良書と出会う方法・良い本の選び方」11選

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”本”というものは、世間に無数に存在している。現在一日に200冊以上が新たに出版され、年間では約8万冊もの本が出版されているそうだ。いかに速読スキルを身に着けたとしても、それだけの本を全て網羅して読むことは不可能だ。そして、出版される本を全て読まなければいけないというわけでももちろんない。確率でいえば、自分に合った良書は、出版される本の中でも0.1%もないだろう。そう考えると、無数にある本の中から、良書を選び出すということは至難の技である。

そんな中で、いかにして良い本と出会うか、良い本を選べるかというスキルは、ある意味我々にとって必要な技術であり、日常の生活を充実させる一つの方法である。今回は、僕が日頃やっている良い本を選ぶ方法を紹介したい。

本当におすすめしたい。良書と出会う6つの方法

好きな書店を見つける(本屋編①)

まず考えるべきことは、「どこで本を見つけるか」ということだ。本と出会う方法はたくさんある。「本屋へ行く」「図書館へ行く」「人に直接聞く」「ネットで調べる」「雑誌で紹介されているものを探す」などなど、本を見つける方法はたくさんあるわけだ。

その中でも、まずは「書店へ行く」という選択肢の中から、「好きな書店を見つける」ことをおすすめしたい。図書館も良いが、僕は自分のお気に入り本は持っておきたいし、書き込みや付箋をペタペタ貼ったりするので、やはり書店で本をチョイスすることが多い。電子化で本が売れなくなったと言われているが、そうは言うものの、いまだ書店は全国に無数に存在している。そして、本が売れない時代だからこそ、逆に尖った書店が登場してきているという一面もある。

書店には、規模・立地・ジャンルなどによってさまざまな形態が存在している。駅に併設された書店、商店街の一角にある書店、ビジネス街の喧騒の中に混じって建つ書店、紀伊国屋やジュンク堂のようなメガブックストアまでなんでもござれだ。そういった数ある書店の中で、自分が"好きだ"と思える書店をつくる。

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参照:aoyamabc.jp/store/honten

たとえば、僕は表参道にあるAoyama Book Center(通称ABC)が好きだ。ビルが立ち並ぶ裏手に隠れた場所にひっそりとある書店で、表参道をぷらぷらさまよっている時に偶然見つけたことがきっかけだ。「検索ではたどりつかない、本とアイデアを。」をコンセプトとして掲げるこの書店のポスターを見た瞬間、恋に近いときめきを覚えた。「検索」つまりインターネットにない発想でアイデンティティーを示しているその逆張りの姿勢に、Webに携わる者としてテンションが上がった。中に入ると、アーティスティックな本が並び、芸術、アート、デザイン、建築など普段読んでいるビジネス書とは全く違う分野での刺激を得られる。本屋の中を歩いているだけで、まさしく「検索ではたどりつかない、本とアイデア」を見つけることができるのだ。

f:id:majicpie:20170604223236j:plain参照:real.tsite.jp

他にも、代官山にある蔦屋書店もおすすめだ。超おしゃれな町並みをくぐってたどりつく、カフェが併設されたその本屋は、本棚ごとに”テーマ”が設けられており、そのテーマに見合うもののみが本棚に並べられている。そこに店員さんの意思を感じることができる。そういう本屋は、初めて訪れたテーマパークのように、歩いているだけでウキウキした気持ちになれる。

自分の好きな書店が見つかれば、その書店の本には高い確率で自分に合う本がある。定期的に訪れ、本棚の変化を見ながら、まずはその書店が推薦している本を見ていくのが良い。さらに、店員さんが意思をもって並べた本棚には、自分が興味のある本のまわりにも、良書がある場合が多い。一冊の本を手に取ったら、そのまわりもぜひ見渡してみてほしい。
本店 | 青山ブックセンター
代官山 蔦屋書店 | 代官山 T-SITE

普段読むジャンルとは異なる本棚に行く(本屋編②)

日頃自分が見ない分野の本に触れることで、新たな発見ができる。そこでおすすめしたいのが、自分が普段行く書店のジャンルのエリアではなく、別のジャンルの本棚を覗くということだ。

普段はビジネス書や経済関連の本をよく読む人であれば、アート、サイエンスの本棚を見てみる。小説しか読まないって人なら、逆にビジネス書の棚を覗いてみるのもいいだろう。本は新たな視点を与えてくれ、新たな知識を得られるものだ。しかし、自分がよく読む分野の本はすでにある程度知っている本が並んでいることが多い。マーケティングが好きだからと言って、マーケ関連の本が並ぶ本ばかり眺めていても、視野は広がらない。むしろ視野がどんどん偏り、狭くなってしまう。そうなると、新たな発見や刺激を受ける機会も少なくなってしまい、本末転倒である。

興味がなくても、ちょっと隣の書棚をのぞいてみる。気になった本を手にとってみる。そういう小さなことから、今まで気づかなかった新たな興味や関心が生まれることが多い。

悩んだらネットで口コミを見てみる(本屋編③)

書店に行き、気になった本を見つけたら、自分の直感を信じて買ってみるというのももちろん良い。しかし、なかなかそれだけでは決めきれないという場合は、スマホでさっと口コミを見てみるのもアリだ。本は読み手の感じ方によって、その書評も人それぞれだが、ある程度どんな評価なのかというものを参考として調べることで、購入するかの判断材料にできる。

一番手っ取り早い方法は、本のタイトルでググればいい。もしくは「(本のタイトル) 書評」や「(本のタイトル) 感想」などで検索してみるのも良いだろう。Amazonは一般の購入者が自分の感想を載せているので、さっと目を通してみる。他にHonzなど有識者が書評を記載しているサイトもあるので、そのようなサイトでオススメ度合いを見てみるのも手だ。そうやってざっくりネットで調べてみて、「どうやら面白そうだ」と自分が感じられれば即買ってみる。注意点としては、調べすぎないこと。ネット上では賛否両論あり、調べすぎると、他人の見解に翻弄され、結局その本への最初の興味自体が失せてしまいかねない。また、調べること自体に時間をかけすぎることももったいない。あくまで自分が読むかどうかを決める際の一つの判断材料としてネットを利用するのが良い。

尊敬する人におすすめの本を聞く

自分が尊敬する先輩や上司、友人、知り合いにオススメの本を聞くというのは、とても効率が良い方法だ。「読んでおもしろかった本は何ですか?」と率直に聞けば、基本的には誰でも教えてくれる。特に本好きの人であれば、好きな本を教えてほしいと言われて嫌な気分になる人はいないだろう。

仕事のハウツー本を仕事ができる先輩や上司に聞くのも効果的だ。トップセールスマンの先輩に「どういう本で勉強されましたか?」と聞けば、その人が実際に仕事上で効果があった本を教えてくれる。ハウツー本は山ほどあるので、本当に有効な本を見つけるのは難しい。だからこそ、実際に本の内容をアウトプットし、実践した上で有効だったものを教えてもらえることは、最短で良い本と出会える確率が高い。
ちなみに、営業の本でおすすめな本は以前に別の記事で紹介したことがあるので、興味がある方はそちらも読んでいただければと思う。
トップセールスマンに聞いた、営業で本当に役に立った本7冊 - Magic Pie

書評サイトで調べる(ネット編①)

インターネットで本の情報を集めることはもはや普通になっているが、ネットにはさまざまな意見が飛び交っている。ある人は「最高の名著だ」と賞賛し、もう一人は「まったく意味がわからない本だ」と罵っている、ということもしばしば。実際にどの見解が参考になるのか、その判断自体が難しいというのが現状かもしれない。

そこでおすすめしたいのは、自分が共感できる書評サイトを見つけることだ。ネットという媒体を一括りにするのではなく、ネットの中でも自分が集めたい場所をしっかりと見定めることが重要である。自分が賛同できたり、参考になったと思える書評を書く人を見つけられれば、その人が勧める他の本も高い確率でおもしろい。

最初は誰が良いか、どのサイトが良いか判断するのが難しいかもしれない。その場合は、なるべく有識者やその道のプロが見解を述べている書評サイトがおすすめだ。一般の方が書いている口コミ情報は書評というよりは感想が多い。参考にならないわけではないが、さまざまな分野の知見から述べている書評を読むことで、その本の理解も深まる。さらに、書評自体が普通におもしろかったりする。

ちなみに、どのような書評サイトが良いかわからない場合は、「HONZ」や「BOOK asahi.com」、「書評空間::紀伊國屋書店」がおすすめだ。いろいろ検索してみて、自分にあった書評サイトや書評家を見つけてほしい。

おすすめツール①:FeedlyでRSSによる情報収集

好きな書評サイトが見つかれば、そのサイトをブックマークして頻繁にアクセスするという方法も良いだろう。しかし、アクセスせずともキュレーションメディアのように情報が流れてくればもっと効率的に、情報収集が可能となる。そこでおすすめしたいのが、"Feedly"だ。以前から人気が高いRSSリーダーである。さまざまなサイトのRSS情報を登録することが可能で、そのサイトで記事が更新されれば、自動的にFeedlyに記事が流れてくる。そして登録しているサイトの記事をFeedlyで一括して確認することができる。なので、わざわざ一サイトずつアクセスして、記事の更新を確認する手間がかからない。非常に便利なツールだ。

僕はFeedlyに自分がお気に入りの書評サイトを登録しておき、そのサイトで新たな書評が更新されれば、自動的に流れてくるようにしている。そうすれば、Feedlyを見るだけで簡単に新刊や新しいおすすめの本の情報を手に入れることができる。

Feedly

著者・翻訳者・出版社で検索する(ネット編②)

著者、翻訳者、出版社で横串的に調べる方法も効果的である。おもしろい本を出している著者・翻訳者・出版社は対象となる本以外にも良い本を出版している確率が高い。なので、好きな作家や翻訳家、出版社をGoogleでググってみれば、自分が知らない他の本も見つけられる。出版社は大手になると大量に出過ぎているので検索はあまり使えないが、ニッチなジャンルのみを取り扱う中小出版社はそのジャンルの面白い本を多数出版している可能性が高い。その出版社のサイトに行ってみて調べてみるのも良いだろう。また、Amazonのページでは、本の商品詳細ページで、著者名をクリックすればその作家の著書の一覧を見ることができる。これは簡単に調べられる方法なのでおすすめだ。

おすすめツール②:Googleアラートで定点観測する

ネットで著者や出版社の情報を集める上で、"Googleアラート"がおすすめだ。Googleアラートでキーワード登録をしておけば、そのキーワードが関連するコンテンツやニュースを自動で収集し、定期的にメールで知らせてくれる。新刊や書評などの最新情報を集めやすくなるのでおすすめだ。

Google アラート - ウェブ上の面白い新着コンテンツをチェック

良い本の選び方 -本のチェックすべき5つの部分-

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タイトル

まず重要となるのは、当然だがタイトルである。良書はタイトル自体が魅力的であることが多い。タイトルにビビッときたらとりあえず手にとってみる。タイトルと合わせて表紙のイラストも見ながら興味度合いを自分で確認する。尚、あまりにも強調しすぎていたり、目立たせようとパンチが強すぎるタイトルであるものは逆に注意すべきだ。あまりにも主張しすぎるタイトルの本は内容が伴っていない場合がある。良書のタイトルはシンプルでいて、飾り気がないにもかかわらず、どこか美しい。興味をそそらせつつも、全てを見せない。まるで良い女のように魅惑的である。

まえがき

「はじめに」や「まえがき」には著者がその本で伝えたいことを凝縮している。そして本全体のコンセプトが記載されていることが多い。なので、前書きを読んでみて、自分がおもしろそう・興味があると思えるかどうかが、本を選択する際のとても重要な判断材料となる。前書き部分は長いものでも5ページ程度なので、興味がある本を見つけたら、まずはその部分を読んでみることをおすすめする。

目次

前書きを読んだ後に目を通すべきなのは、「目次」部分だ。目次部分を読めば、その本の構成と掲載されている情報の全体像がわかる。ここで気になる見出しを見つけたら、その部分を軽く読んでみるのも良いだろう。そうやってざっくり読んでみて、おもしろそう、読んでみたいと思えるかどうかを確認する。本を選ぶ際には、「おもしろそう」と直感的に思えるかどうかはとても大切な要素だと思う。

著者

”誰が書いていた本なのか”ということも確認ポイントとして大切だ。たとえば、僕はビジネス書、特にハウツー本を購入する場合は必ず著者を確認する。著者の経歴やプロフィールを見て、「実際に自分で事業を創り上げ、成功させた経験を持っているか」、「そのノウハウは実体験を元にして創り上げたものなのか」という点を確認する。優れた経営者や創業者が書いた本は、実際に経験と実績に基づいたノウハウである(そうでないものも最近は多いが)。逆にコンサルタントなどの経験が伴わないハウツー本に関しては、机上で練られたものが多い。一見優れたものに見えても、実用性が欠けたものも無きにしもあらずだ。なので、著者を確認し、その道のプロかどうか、自分が求めるものを持っているor知っている人なのか、ということを意識して本を選ぶことも一つの方法である。

装丁

CDのジャケ買いのように、本でも表紙のデザインで判断するという方法もある。自分が惹かれたデザインの本ということは、それだけ外装にもこだわって、丁寧につくられているということだ。つまり、本への愛情をもってつくられていることが多い。であれば、自ずと内容も綿密につくられているだろう。文庫の場合は基本的には同じものだが、ハードカバーの本の場合は装丁にも着目する。

さいごに

素晴らしい本との出会いは生活を潤し、自分の世界観を広げてくれる。子供のころに観たファンタジー映画『ネバーエンディング・ストーリー』の中で、本屋の主人コレアンダーさんが、主人公の少年バスチアンに「本は読んでいる間、自分が主人公になれる」と語る部分がある。この言葉が子供心にとても響いたことを覚えている。本は僕たちをさまざまな世界へ連れて行ってくれる。そして、体験したことがない未知の冒険、そして新たな"知"を与えてくれる。読書は本当に素晴らしい体験だ。

読書家のはしくれとして、自分なりに良い本との出会う方法、良い本を選ぶコツを日々考えている。それを考えること自体もおもしろい体験だと思う。読書好きの方、良い本を探している方に、少しでも参考になれば嬉しい。ではでは。

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